飛び込むBlue

終わりはまだまだ遥か先の方だ

「少年たち」が終わった日、「劇場版 私立バカレア高校」を見てきた。

「少年たち To Be!」千秋楽の今日。

実は福岡では「劇場版 私立バカレア高校」の復活上映が開催されていました。


 「少年たち To Be!」は残念ながら見れなかったけれど、

僕は今日「劇場版 私立バカレア高校」を見てきました。

 

 

 

僕は最近、古い雑誌記事に載った「SixTONESとすき焼き弁当」の話を知りました。

 

それは2012年10月――

劇場版バカレアが無事公開され、舞台あいさつを終えた日、帰りの新幹線。

映画の充実感でSixTONESの6人はテンションも高く、盛り上がっていたそうです。

でも、6人は、はたと気が付いた。

「今日、6人がそろって仕事するの、最後なんじゃない?」

誰かに言われたわけじゃないけれど、6人での仕事は最後だと思ってしまった。

元々、バカレアという作品のために集められた6人。

だから、映画が終わるということは、同時に6人も終わってしまう。

それで6人とも「今までありがとう」「楽しかった」なんて暗い空気になっていって。

そしたら、ついに北斗がうつむいてボロボロと涙をこぼしはじめてしまった。

全員こらえきれなくなってしまって、

みんなボロボロ泣き始めてしまった。

このとき6人は、帰りの新幹線で、大好きなすき焼き弁当を食べていた。

でも、すき焼きの味なんてしなくて、弁当はしょっぱい涙の味だったそうです。

 

「劇場版 私立バカレア高校」はどことなく「少年たち」に似ていて、

けれど、「少年たち」とはまったく異なる作品でした。

 

ライバル(SnowMan)と競いながら

塀の外の未来へ向かい、未来を歩んでいく」というのが、

「少年たち」のストーリー。

 

それに対して「バカレア」での彼らは、

ライバルとの争いを繰り返す日々に戻り、

俺らの夢って何だろう?」という問いで終わってしまうのでした。

 

不良たちとは異なり、明確な夢を持ってアメリカに向かった文恵(島崎遥香)。

「答えは自分で見つけるものよ」そう言い残して。

彼女は、映画の2か月後にリリースされたシングルで、

AKB48のセンターに上り詰めました。

 

文恵から達也(慎太郎)宛てに届いた手紙には

「今度、達也君の夢、教えてくださいね」と書かれていました。

哲也(北斗)にも届いていたので、全員に書いていたのでしょう。

達也(慎太郎)は「俺の夢か……」とつぶやきました。

 

高みに上った彼女を見送り、6人に残ったのは、友情。

そして、漠然とした未来への疑問でした。

俺らも、ほんとうは、この6人でまだまだやりたい。

……けれど、この6人は「馬鹿田」を卒業したら、

ここで終わりになってしまうんだろうか?

 

このとき、SixTONESは「終わることない夢を見たい」と歌っていました。

まだ、夢を「見たい」という願望でしかなかった。

描けては、いなかった。

だから多分、その終わりを感じて、ぼろぼろと泣いてしまったんじゃないか。

 

でも、今はどうでしょうか。

違いますよね。

「少年たち」は「描いた夢は Endless way」とはっきり断定している。

俺たちが描いたこの夢は「終わらない夢」だと断言しているんですよね。

 

今日、彼らが5年立ち続けた舞台「少年たち」が幕を閉じました。

最終日、SixTONESジェシーと、

SnowMan・岩本照が最後の手紙を読んだと聞きました。

ジェシーは「一度夢をあきらめかけた2グループだ」と語ったそうですね。

バカレアが終わった後、いろいろあって、

事務所を辞めるかもしれないところまで行ったと。

そして今回、岩本君は「もうすぐ僕たちの少年たちが終わりますね」と言って

泣いたそうですね。

 

作品は終わってしまう。

けれど、バカレアのときの涙とは違います。

描いた夢は終わらない。

そう信じている、そんな涙ですよね。

作品が終わっても、今は終わらない夢を描けている。

 

「劇場版 私立バカレア高校」。

僕にとってはとても新鮮なSixTONESがみられる映画でした。

慎太郎がセンターポジションで、今のSixTONESとはいろいろ違いますね。

SixTONESに、こんな時代があったんだな、と感じる作品でした。

本作のSixTONESは、

まだ、未完成で、不安定で、未熟で、荒々しく、洗練されていない、彼らでした。

けど、そんななかにも、間違いなく光る兆しを持った6人でした。

この6人に――ジャニーさんは、

SixTONES(原石)」という名前を付けてくれたんですね。

 

「少年たち To Be!」千秋楽、おめでとうございます。

そして、お疲れ様でした。

今回こそは、みんな、美味しいお弁当を食べたのでしょうね。

SixTONES、ジャカルタのYouTube Fanfest #YTFFID に出演決定!「マンキーって言うのはよくない?」インドネシアってどんな国?

YouTubeFanFest、ジャカルタインドネシア)でのステージにSixTONESの出演が決定しました~!

SixTONES、おめでとう!!!!!!

10月19日の開催当日には、YouTube上でライブ配信も実施される予定だそうです。
(現地時間18:30~20:30 日本時間では20:30~22:30)

 

ジャカルタってどんな都市なんだろう?」「インドネシアってどんな国なんだろう?」と気になっている方も多いのではないでしょうか?

 

北米進出って言っていたのに、どうしてインドネシア

調べたら「デモや抗議活動で治安が悪い」みたいなことも出てくる…!

治安が悪いんじゃないの? SixTONESはそんなところに行って大丈夫なの?

 

と不安になっている方もいるかもしれません。

 

特に注目したいのは、「サル(Monkey)」という言葉をめぐる諸事情。

ご存知の通り、SixTONESファンの間では「マンキー!」というフレーズがすっかりおなじみのものになっていますね。

SixTONES奥多摩でドライブをしたとき、山道でサルに出くわして盛り上がったことから生まれたフレーズです。

あくまで、本当にそれだけの「楽しいフレーズ」の意味しかないので、僕は「このフレーズを使うべきじゃない!」とは正直言いたくないのですが、しかし実際問題、国や宗教によってはこの言葉が非常にセンシティブなワードにもなりかねない部分がある、ということは知っておいた方がいいかもしれません。

 

ただ、ことさらに「マンキーって言うのはよくない!」と声をあげるのも少し違うんです。

せっかくSixTONESが向かうインドネシア、ちょっと詳しくなってみたいですよね。

ということで、少しインドネシアについて僕が勉強したことを話してみたいと思います(めちゃくちゃ偶然なんですが、最近インドネシアについて勉強したばかりだったんです)。

 

まず、インドネシアってどこ?

外務省のウェブサイトからお借りした地図を見てみましょう。

 

f:id:sixgre:20190925194701j:plain

 

日本の南のほうにあって、たくさんの島々からできています。もう少し南に行くとオーストラリアがありますね。地図上で赤く示されているところがジャカルタです。

いわゆる島嶼国家というやつで、日本と同じように複数の島々からできているんですが、日本とは規模が違います。

その島の数、なんと1万3466島。めちゃくちゃ多くの島からできているので、民族的にも宗教的にも経済的にも、とにかく多種多様な人たちが住んでいます。いわゆる多民族国家です。

なので、国としてまとまるために、インドネシアは複雑な歴史を歩んできました。

その歴史を知るのに重要な人物、実は日本でも少しなじみのある人物がいます。

 

スカルノ大統領です。なんとなく聞いたことありませんか?

そう、デヴィ・スカルノ――デヴィ夫人の夫ですね。

スカルノ大統領はインドネシアの初代大統領であり、「独裁者」でした。

 

ただ、「独裁者」といっても「俺の言うことに従わない奴は粛清!」みたいな恐ろしい暴君という側面よりは、インドネシアに議会や憲法を導入して、バラバラだった国をなかば…かなり強引にまとめあげ、独立にみちびいた――というイメージ。

まあもうちょっと詳しく語ると、そこまで単純には語れないという深い歴史があるんですが、ここでは省きます。まあ、そういう感じの独裁者です。

 

先ほど書いたように、インドネシアは民族的にも宗教的にも非常に多様です。

なので、それをまとめてインドネシアが独立するには、いろんなルールを決める必要がありました。そんなルールを決める中で、スカルノ大統領は国の5つの大事な原則を発表しました。

のちに順番や中身が少し変わって「パンチャシラ」と呼ばれるようになるのですが、これが「国の一番大事なルール」っていう感じの原則です。

その中でも非常に画期的なルール、それが「唯一神の信仰」です。

 

この「唯一神の信仰」。

重要なのは「特定の宗教の神のことじゃないよ」という点です。

インドネシアではイスラム教、プロテスタントカトリックヒンドゥー教、仏教、儒教という6つの宗教が公認されています。

公認されている宗教ならどの神を信じてもOK」なんです。

ただし、無神論は違法になります。これはインドネシアにおける超・要注意事項ですので、SixTONESのためにインドネシアまで行くという方は覚えておいてください。

Facebook無神論を語っただけで逮捕される事例があるくらい、無神論というのはNGです。無神論は「神様はいない!」と人の信仰を否定する行為ですから。

日本人はだいたい「うちは浄土真宗だよ~」みたいな感じで仏教を信じているご家庭も多いと思いますし、そういうスタンスならいいと思います。

このように色んな宗教・民族をまとめあげる「多様性の中の統一」という言葉が、国全体の標語にもなっています。

 

「なるほど、宗教はバラバラだけどそれぞれOKなんだ~」と。

そう感じていただいたと思うんですが、ただ、その中でも一番強い宗教があります。

イスラム教です。

 

6つの宗教が公認されていると先ほど書きましたが、イスラム教が90%近くを占めているんです。

イスラム教徒が最も多い国ってどこだと思いますか?

サウジアラビア? イラク? シリア?

イスラムってそういう中東・アラブのイメージがありますよね。

でも実は、インドネシアこそ、世界最大のイスラム教国家なんです。

島国なので、中東から海を経由してイスラムの商人たちがやってきて、広く普及したといわれています。

 

イスラムと聞いて、「なんかちょっと怖い」「中東のテロとか…そういう過激な…」というイメージを持つ方もいらっしゃるかもしれません。

ただ皆さんが思い描くそういう過激なイスラム教徒とインドネシアイスラム教というのは実は結構違います。

一部に過激な原理主義者やテロも辞さない組織もあることは事実ですが、政府としては日本と同じように政教分離世俗主義)を掲げています。

 

インドネシアイスラム教とアラブ諸国イスラム教は、たとえて言うなら、日本の仏教とインド周辺諸国の仏教くらいの温度差があります。

日本では仏教のご家庭といっても「仏教徒なんで出家します!」みたいな方はあんまりいないですよね。発祥地のインドやその周辺諸国ほどに厳格じゃない。なんでかっていうと、発祥の地インドと日本がめちゃくちゃ離れてるからなんですよ。

仏教の発祥はインドなんだけども、日本人はインドのお坊さんから仏教を教えてもらってるんじゃなくて、日本国内で仏教を独自に発展させて学んできた歴史があるわけです。なんというか自分の国の中でちょっとアレンジしてるわけです。

インドネシアでも同じです。本場の中東からはだいぶ離れてるでしょう。

たとえば厳格なイスラムの教えを守るとするなら、女性は家庭外での活動を厳格に禁じられることになりますね。

女性の外出時には体全身を覆う衣装を身に付けるべきとも言われています。

例えば中東にはという女性の体を完全に覆う「ブルカ」という衣装があります。

f:id:sixgre:20190926000121j:plain

けれど、インドネシアでは「ジルバブ」というスカーフを着用する方が多いです。

f:id:sixgre:20190926000636j:plain

見てみたらわかると思いますが、ジルバブ、カラフルでおしゃれですよね~。

これはイスラム教の聖典である「コーラン」の解釈の違いですが、コーランイスラム教を信じる女性に対して、控えめな服を着ることを求めているけれども、ブルカのように目しかでてない衣装を義務付けているわけではない(とも読める)のです。

 

もちろん、インドネシアは日本ほどゆるゆるの宗教観ではないです。

ただ、中東ほどには厳格・過激・保守的なイスラームではない穏健派が多数派である、というのが現代インドネシアを支えるイスラム教の宗教観といって差し支えないと思います。

 

ただし、また話をひっくり返すようですが、いろんな宗教が同居する国ですから、いくら「多様性の中の統一」という標語を掲げても、争いがあるのは事実です。

イスラム教と他宗教の対立、そして民族間の対立というのは、やはり根深いものがあるんです。

 

さて、だいぶSixTONESの話からそれている気がしますが、そろそろ「サル(MONKEY)」の話をしましょう。

 

なぜ「サル」という言葉がセンシティブなのか。

これはイスラム教の聖典コーランの一説で、異教徒(ユダヤ教徒キリスト教徒)が猿と豚に変えられてしまったことに由来します(コーラン第5章60節)。ここから転じてイスラム教徒がユダヤ教徒キリスト教徒を罵倒する際、「サル野郎」や「豚野郎」などという言葉が使われてしまうようになったんですね。

 

これが大きな問題となってしまったのが、ごく最近。先月のことです。

パプア州で大規模な抗議デモや暴動が起きました。市民の少なくとも25人が死亡、92人が負傷しました。

このデモと暴動、「インドネシア人のイスラム教徒がパプア人に対して『サル』と暴言を吐いた」というのがきっかけなんです。ちなみにパプア人の大半はキリスト教徒です。

もちろん一回きりの暴言だけでここまで発展したわけではなく、その背景には、パプア人に対する日常的な人種差別問題などがあるのですが、パプア人たちはデモの場でこのように叫びました。

"WE ARE NOT MONKEYS!!(我々はサルではない!)"


なんとなく、ご承知いただけたでしょうか。

何故、サル、マンキーという言葉がマズイと言われているのか。

 

その上で、僕が冒頭で、"でも、ことさらに「マンキーって言うのはよくない!」と声をあげるのも少し違う"と書いた意味もお話しします。

 

パプアの人々は「インドネシアイスラム教徒たちが自分たちを猿だと侮辱している」という主張をしているんです。

なので、「マンキーって言うのはよくない!」っていう言い方は、その通りではあるんですが、あえて逆を言うとするなら、インドネシアの多数派であるイスラム教徒の方たちに対して非難めいたニュアンスがこもってしまうという部分もちょっとあるかも……というところがあるのです。

ここ、非常に難しい、本当にセンシティブな部分ですね。

 

難しいですよね~~。でも、ここで、覚えてほしいワードがあります。
「種族、宗教、人種、社会集団」というのがそれで、インドネシア語の単語の最初の字を並べて「SARA」とも呼ばれています。

SARAの話はインドネシアではタブーとされています。

この問題に可能な限り触れないこと、問題提起をしないこと。

分断の危機を避け、社会を安定させるためにインドネシアには「SARAの話はしない」というタブーがあるわけです。それほど宗教・民族などにかかわる対立は危険だということです。

ですから、ここまで詳細を語っておきながら結論がこれなのですが、「それ、あんまり触れないでおこう!!」というのが、日本のスタンスとしてはいいかなと思っています。

「ラフにラブを!」の精神で行きましょう。

あくまで他国の中の争いですからね。

 

というわけで、このような宗教や民族間の対立があり、暴動や抗議行動など、少し治安が悪い部分もあるインドネシアですが、外務省から発されている海外安全情報では「危険レベル」はまだ一応「レベル1」です。

これは「十分注意してください。」というもので、要警戒レベルとしては一番低いライン。

インドやらロシアやらも同じレベル1です。

ですからもちろん事務所にはSixTONESを危険にさらさないため、最大限の警戒を行っていただきたいところです。

けど、事務所やYouTube側の大人のみなさんがしっかり守ってくれてさえいれば、ファンがめちゃくちゃ心配しまくるほどではないよ、という感じです。

 

最後に。

インドネシア進出とYouTubeFanFest出演は、SixTONESにとってまたとない大きなチャンスだ、という話をします。

インドネシアは世界第4位の人口を誇る、非常に人口の多い国です。

しかも、ただ人が多いだけじゃない。

中間年齢が28歳。

めちゃくちゃ若者が多くて熱気にあふれた国家なんです。

ものすごい労働力とものすごい消費力をかかえていて、今後の爆発的な経済発展間違いなしと言われている、非常~に伸びしろの高い国なんです。

激動の独裁体制時代を経て、現在は民主化しており、ジョコ・ウィドド大統領の政権下にあります。

ジョコ大統領も日本人の観光ビザ免除を表明するなど、日本との関係は良好です。

若者たちは特に日本のことが大好きです。AKB48姉妹グループであるJKT48の成功からも分かるようにアニメやアイドルなど、日本のポップカルチャーに対する好感も高いです。

経済発展著しいとはいえ格差も激しいため、まだまだ貧しいなか頑張っているという若者たちもいますが、そういう人たちの間ではスマートフォンは普及しているし、YouTubeを通じてSixTONESを好きになってくれる可能性は十分にあるといえます。

そして、そんなこれからの経済成長を支え、活気ある熱狂的な未来ある若者たちが集まるのが、今回の「YouTube FanFest」に他ならないのです。

 

もし、それだけのボリュームの「スマートフォンを持つ熱狂的な若者たち」を、SixTONESのファンに、味方につけることができたら。

そう考えるだけでゾクゾクしませんか。

YouTubeの再生回数に国境はありません。#WORLD6T!!!!!!

描ける夢はきっと叶うから。

【ドラマレビュー】「監察医 朝顔」を見て感じた、人が人を弔うということ

ドラマ「監察医 朝顔」が最終話を迎えました。

 

視聴のきっかけはSixTONES森本慎太郎くんが出演していたことでした。しかし彼は物語の本筋とはほとんど交わらない役どころでしたね。ファンとして、序盤のうちは少し残念に思ったりすることもありました。

けれど、物語をつつむシリアスな空気の中に、ときおり彼が顔をのぞかせることで、明るさがともるというか、ああそうだ、別に暗い顔をしてドラマを見つめていることはないんだと、そう思い直させる効果も彼にはあったのではないかと感じました。

ファンとしては拍手を送りたいです。慎太郎、撮影お疲れ様でした。

 

昨日、大雨の影響で我が家は停電しました。数時間の短い停電だったけれども、やはり不安にもなり、懐中電灯を持ち出し、冷蔵庫の中身を心配したり、復旧した後もしばらくはニュースから目を離すことはできませんでした。

台風15号の影響で、いまも千葉では断水や停電に困っている住民の方々がいらっしゃる。たった数時間の停電でも不安な思いをしたのに、これほど長く生活に不便をしいられている現状はいかに辛いことだろう、と感じました。

 

我が国は諸外国と比べても自然災害の多い国です。台風、大雨、大雪、洪水、土砂災害、地震津波、噴火など、多くの自然災害リスクを抱えています。

特にここ数年は各地で自然災害が発生し、「災害大国日本」に住んでいる現実を改めて思い知るような出来事が続きました。

 

「監察医 朝顔」は、漫画原作のドラマでしたが、主人公たちの名前のほか、大きな設定の変更がありました。

原作では、1995年1月17日の阪神淡路大震災朝顔が母を亡くした設定でしたが、ドラマでは、2011年3月11日の東日本大震災上野樹里演じる朝顔が母を津波による行方不明で失ったという設定になっていました。

遺体すら見つかっていない、そのような状況で「母の喪失」とどのように向き合うのか。

ドラマは、多くの死者や遺族と向き合う法医の現場を描きながら、災害でひとりの母を失ったひとつの家族の生活が続いてゆくさまを描きました。

 

豪雨と不法投棄が引き起こした土砂災害で多くの人命が失われた最終話。

その最終話を見終えたとき、僕が強く感じたのは「感謝」でした。多くの悲しみ、痛ましい姿を見なければならない、法医たち。辛いことの多いお仕事だろうと思います。

中尾明慶志田未来が演じる法医学教室の二人がぼろぼろと涙をこぼしながら多くのご遺体を確認するシーン。僕も涙が止まりませんでした。

法医だけではなく、警察や消防や救急――災害や死にかかわって仕事をして下さる人たちがいる、それって決して当たり前のことではないんだな、と感じました。

でも、それを当たり前の仕事としてやってくださる人たちがいるから、僕たちはこの災害国家の中でも、当たり前の生活と日常を送れているんだろうなぁと。

 

僕たちは生きる上でいろんな「生き方」を選んで生きていくことができます。

ただ、死だけはそんな選択の余地などなく、ほとんどは強制的に、そして急にやってきます。自殺や安楽死尊厳死を除いては、人は「死に方」を選ぶことができません。

もちろん「失い方」だって選べない。わかっていてもそんな風には思えないけれど、ある日突然大切な人や家族を失う――それって、だれしもみんな平等に起こりうることなんですよね。

 

けれども、「弔い方」は生きることと同じように、ひとそれぞれに選んでいいのだと、ドラマを見て思いました。

印象的だったのは第五話です。白骨化した遺体の息子として登場した岡田義徳演じる男性は、父親の遺骨の受取を拒否し、「綺麗ごとを言わないでください。自分たちのことは何も知らないくせに」と冷たく言い放ち去りました。

彼の態度は責められるべき冷淡さでしょうか。僕はそう感じませんでした。彼ら父子の間のことは、彼ら父子の間にしかないのだから、そういう弔いを選択する人がいてもいいのですよね。

 

時任三郎さん演じる朝顔の父・平、そして柄本明さん演じる朝顔の祖父・浩之の二人。

その二人もまた、それぞれの方法で朝顔の母・里子を弔いました。

平は震災から八年たった後も行方不明の妻を探し続け、一方、浩之はそんな平のことを「当てつけの様に思う地元の人たちもいる」と疎んじながら、娘の死を覚悟して仏壇を用意するなどの弔いを行っていました。

遺体が見つかっていない、そんな状況で八年。

探し続けることと、覚悟して弔うこと。

どちらが正解だなんてことはなく、どちらに愛があるだなんてこともないんですよね。

孫娘がやってきた家族の輪の中に娘の面影をみて、「どうして里子がいないんだ」と号泣する浩之のシーンには、彼は彼だけの弔いを続けていたのだという悲痛さを感じました。

 

第三話では放火殺人事件が扱われ、奇しくも京都アニメーションの事件と重なっていたので、放送が一週延期され、再編集されたものが放送されました。放火殺人の回は、放火の生々しいシーンは削除されているようでしたが、ストーリーは削られることなく放映されました。

僕はここに、ドラマ制作陣の矜持のようなものを感じたような気がしました。

このドラマは、法医学ミステリーでありながらも、全話を通してみると、人が人を弔うということを考えつづけるドラマでした。

 

弔いは誰のものでもなく、弔う本人だけのものなのだーーと。

 

だからこそ、京アニ事件のご遺族の方たちにも背を向けることなく、ストーリーをそのまま続けて放送するという決断ができたのだと思います。

 

 

本当にみてよかったと感じるドラマでした。

来週の特別編の放送も楽しみに見たいと思います。

 

思い起こせば僕も父を失って九年がたちます。

僕は僕なりに弔い、日常を過ごしています。

毎日仕事をして、おいしいご飯を食べ、好きなアイドルの活躍を喜び……そんな日常の中では、父のことを忘れている時もあります。

むしろ、盆や命日のようなときにだけ父を思い起こす……そんな形です。だけど、でも、僕は僕なりの、僕だけの弔い方でいいんですよね。

 

そういえば、森本刑事を演じた慎太郎と、桑原刑事を演じた風間俊介くんもまた、このドラマの期間中にジャニー喜多川氏という大きな師をそれぞれ弔ったのでしたね。

彼らがどのような想いで弔ったのかは推測するべくもありませんが、彼らの弔いもまた、彼らだけの弔いだったのだろうと、そんな風に思いました。

 

いつか凍りついた時を溶かす暖かい涙を。〜Travis Japan川島如恵留と「アナと雪の女王」〜

美しい顔立ち、高身長、抜群のスタイル。

クロバットもこなし、運動神経もピカイチ。英語も話せて頭脳も明晰。

それだけでも十分なのに、難関資格にも挑む努力家。

歌もダンスもトークもそつなくこなす。

ファンに対しても誠実で優しく、ブログではいつも気配りをかかさない人格者。

 

何もかも手に入れているかのように見える彼。

 

そんな川島如恵留が、あの時、泣いていました。

 

東京ドームでSixTONESSnowManがデビューを決め、その直後のパフォーマンス。

カメラに抜かれた彼のアップ。

見たことがないほど、泣いていました。

 

その後、如恵留はブログでファンに謝り、そして釈明しました。

 

SixTONESSnowManのファンの気持ちに水を差していたらごめんなさい、と。

彼らのデビューを喜ばしく感じ、心から祝福している、と。

あの涙は、彼らのデビューへの悔しさでなく、非力な自分への悔しさと、ファン、メンバーへの申し訳なさなのだと。

 

あまりに誠実すぎる。

あまりに優しすぎる。

あまりに強くあろうとしすぎる。

僕はブログを読んでそう感じました。

誰一人傷つけてはいけないと、

誰一人責めるような形にしてはいけないと、

聡明であるがゆえに、自分の涙がもつ力を恐れているようにも感じました。

 

こうも強く正しい生き様だと、老婆心としては少し心配にもなる。

甘えたい時はないのだろうか?

 

奇しくも、令和Jr.維新のコーナーで、

インタビュアーの方が僕と同じ疑問を抱いていました。

 

如恵留くんはこう答えていました。

 

……だから、ファンの人には甘えさせて欲しいです。

俺のことを甘やかしてくれる人っていないんですよ。

さいころから甘えそびれて来ちゃったし。

もちろん、ダメ出しもありがたいけど、

川島ファンの人だけは、デロデロに甘やかして!(笑)

そしたら、俺は報われてるって思えるから。

 

僕はこれを読んだ時、川島如恵留のアイドルたる真髄に触れたような気がしました。

容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群。

もちろんそういうパーフェクトな一面も、すべて川島如恵留だ。

でも僕には、もうひとつとても愛おしい彼の特徴が、そこにはあるように思えた。

 

甘えるのがとても下手だってことだ。

 

僕はここからひとりのディズニープリンセスを連想しました。

人を迷惑をかけることを恐れ、ありのままに人に甘えることができなくなってしまった、聡明な氷の王女。

 

そう、「アナと雪の女王」に登場するエルサ王女です。

 

良い子で、慎重で、真面目で、心優しく、自らの喜怒哀楽で誰一人として傷つけたりしないように、気持ちを押さえ込んで誰よりも頑張ってしまう。

 

エルサのキャラクターを通してディズニーが描いたのは、実に普遍的な「聡明なる長子」の姿だと僕は思います。※如恵留くんも妹がいますね

 

幼き弟妹が生まれたら、聡明な長子は涙を遠慮してしまう。それは「お兄ちゃん/お姉ちゃんなんだから」という呪縛だ。

甘えることを周囲から、あるいはときに自ら禁じてしまう。

エルサの場合はそのまま両親を失い、二人きりの姉妹となり、それでさらに涙を封じ込めてしまう。

アナ雪における「氷の力」はまさに「涙」のメタファー(隠喩)だと思う。

 

だからこそ僕は如恵留にこう言いたい。

 

泣いていいんだよと

 


Travis Japan「Namidaの結晶」MV (「虎者 ―NINJAPAN―」テーマソング)

 

寂しさ悲しみも 包み込み癒す光

触れたその瞬間 こみあげるこの感情

戸惑いながらでも解き放とう

Travis Japan「Namidaの結晶」

 

エルサは涙で氷の城を建て、ついには愛する妹のアナを氷で傷つけてしまいます。

その氷の力は「孤独と悲しみの涙」です。

 

※ちなみに。日本語版「レット・イット・ゴー」は和訳で多くの誤解を生んでいますが、あれは「ありのままで生きよう」というハッピーな自由賛歌ではなく、「このまま人から離れて孤独に生きよう」という悲痛で孤独な歌なんですよね。あの和訳は罪深すぎるんじゃないだろうか。

 


「アナと雪の女王 MovieNEX」Let It Go/エルサ(イディナ・メンゼル)<英語歌詞付 Ver.>

 

けれど、その悲しみの涙の魔法を解くのも、やはり涙です。

それは、氷を溶かす暖かい愛の涙

 

身を挺して自分をかばったアナを抱き締め、エルサは号泣するのです。すると、その暖かい愛の涙で凍てついたアナの氷は溶け、姉妹の愛が王国を救うのです。

 

真実の愛こそが、魔法を溶かすことができる

 

如恵留がエルサだとしたら、僕たちファンはアナだと思うのです。

だからこそ、如恵留には悲しく悔しいときには泣いていいんだと言いたい。

たくさん泣いていい。もしも、それによって誰かを傷つけてしまうことがあるのだとしても。

ファンやメンバーは、それでもあなたを大好きな家族なのですから。

大丈夫。いつか嬉し涙の結晶が、凍りついた時間を溶かして、ちゃんと前に進める。ハッピーエンドを迎えられるから。

 

ただ、聡明で優しい如恵留は、さすが、その愛の力まで分かってくれているようですけどね。

のえまるにもこう書いていましたね。

 

次に流すのは、自分たちの嬉し涙だもん。

髙地優吾の向かう先には相葉雅紀が待っている。 〜SixTONESのバラエティ考〜

SixTONESトークバラエティへのソロ出演が増えていますね。

私見ですが、トークバラエティはざっくり3種類に分類できると思っています。

 

ひとつめは、「スタジオトーク」系。

これは、スタジオにいる出演者のトーク力や出演ゲストのキャラクターに比重を置いた番組。

代表的な番組は「アメトーク」「今夜くらべてみました」「アウト×デラックス」。

田中樹が先日出演した「かみひとえ」はこれ。

「スタジオにいる人の面白さ」が一番大事、というタイプの番組。

 

ふたつめは、「ロケトーク」系。

これは、スタジオよりも、VTRでロケに出ている出演者に比重がおかれた番組。

代表的な番組は「世界の果てまでイッテQ!」や「陸海空 地球征服するなんて」。

ジェシーが出演している「有吉ゼミ」はこれ。

「VTR内でロケに出ている人の面白さ」が一番大事、という番組。

 

そして3つめは、「VTRトーク」系。

これは、ロケトークと同様に番組内のVTRの比重が大きいけれど、

「VTRにはほとんどタレントが出てこない」タイプの番組。

代表的な番組は、「劇的ビフォーアフター」や「秘密のケンミンSHOW」。

髙地優吾が昨日出演した「笑ってコラえて」はこれ。※樹も出演歴あり

このタイプは「VTRの面白さを視聴者に伝えるタレントのスキル」が非常に重要。

 

もちろん全てを3つに明確に分類できるわけではなく、

例えば「ロケトーク」と「VTRトーク」の混合みたいな場合も多い。

代表的な番組は、「水曜日のダウンタウン」や「ヒルナンデス!」。

先日ジャニーズJr.が多数出演した「調べるJ」はこれ。

もちろん「スタジオトーク」と「VTRトーク」の混合もある。

 

こうしてみると、感覚値だけれど、

混合型を含めると「VTRトーク」系のバラエティというのは多いように思います。

 

ここからが本題。

現在、全ジャニーズJr.の中で「VTRトーク」のバラエティスキルが最も高いのは誰か?

僕は、SixTONESの髙地優吾で間違いないと思います。

 

昨日の「笑ってコラえて」出演時も、本当に見事でした。

 

「VTRトーク」が難しいのは、VTRを超えた過剰なボケやキャラ立ちが許されないこと。

美味しいそうめんのVTRが流れたら、ちゃんと「美味しそう」と言えるのが正解。

「私そうめんを鼻からすすって食べれるんです」などと言い出すような、

自分の売り出しに必死な地下アイドルみたいな発言は、この種の番組では一切求められません。

視聴者の共感/好感を呼びつつ、番組を賑やかす的確なリアクションが瞬時に要求されます。

ファンでなければ実はなかなか気づきにくいけれど、髙地は本当にこれが上手い。

 

これまでのジャニーズJr.チャンネルの動画でも、

髙地は、瞬発的に求められる表情/リアクションを返すスキルを発揮していました。

 

例えば、商品PRの無茶振り動画では、

最もオーソドックスな正解のリアクションを瞬時に的確に返しています。

 

二度にわたるドッキリ動画でのリアクションも素晴らしい。

瞬時にバラエティ的な正解を返す見事さ。

 

ジャニー喜多川が「髙地はいるだけでいい」と評した、

そのことの答えは、まさにここにあるのではないかという気がします。

「調べるJ」のときも、ワイプで抜かれる回数や、

発言にテロップがつけられるがダントツで多かったようで、

ファンの間では話題になっていました。

 

このように「VTRトーク」でしっかり番組を賑やかせる仕事をできるタレントなら、

当然、「VTR/ロケ」の混合番組、スポーツニュース、雑学クイズ的な番組でも、

いわゆる「パネラー」的な立場として重用されていくだろうと思います。

そして、「パネラー」としての活躍から華を開かせた人物、僕にはひとり心当たりがあります。

 

嵐の相葉雅紀です。

 

言うまでもなく、相葉くんは、髙地が尊敬する先輩にあげ続けているアイドルです。

 

相葉くんは動物を扱う情報バラエティ「天才!志村どうぶつ園」に、

当初「パネラー」として出演していしました。

パネラーとして活躍する中、抜擢された「ワケあり動物園修行」の体当たりロケが人気を博し、

今では司会に昇格したという経緯があります。

また、スポーツニュースの分野でも、体操ジャパンカップのナビゲーターに抜擢後、

多くのスポーツ番組に呼ばれ、昨年の甲子園ではついに司会まで務めています。

 

思えば、髙地がロナウジーニョ選手へのインタビューにトライしたのは、

相葉くんのような憧れの未来への布石だったんじゃないか。

今となってはそうとしか思えないほどです。

この時すでに、髙地の視線の先には、尊敬する先輩の背中がずっと見えていたのかも。

 

SixTONES「JAPONICA STYLE[English Ver.]」歌詞和訳考察――これは世界への宣戦布告だ。

SixTONESは嵐を超え、米津玄師を超え、世界を驚かせるグループを目指すんだ。

 

先日公開されたYouTubeの『JAPONICA STYLE』の英語バージョンから、

その確信を一層強く持つことが出来ました。

 


SixTONES - JAPONICA STYLE [English Ver.] (Lyric Video)

 

嵐というグループは、 間違いなくお茶の間から愛された人気グループです。

ドラマ、バラエティ、音楽番組、どんなチャンネルでも人気を博したグループでした。

活動休止会見は日本中を驚かせ、老若男女がその出来事をビッグニュースとして受け止めました。

田中樹の言葉でいえば、間違いなく、嵐は「社会現象」と言えるグループでした。

 

しかし、今、嵐がスターダムに登りつめた時代とは違います。

もう、皆がお茶の間でテレビを見る時代ではありません。

もちろん、以前としてテレビの影響力は大きいですが、見る時間は減りました。

代わりに、スマートフォンYouTubeTwitterInstagramを見る人が増えました。

 

お茶の間を攻略すればスターダムに登れる、そういう時代ではなくなりました。

今はお茶の間だけで「日本中」に嵐を巻き起こすのは不可能です。

お茶の間でテレビを見ている人々だけでなく、

電車の中でスマートフォンをいじる人々をも巻き込まなくてはなりません。

 

大変な偉業ですが、昨年はこれを成し遂げたアーティストがいました。

そのアーティストの名前は米津玄師です。

ニコニコ動画」からそのキャリアをスタートした彼は、

まず、インターネット上で……つまり、スマートフォン上で人々から大きな注目を集めました。

その後、TBSドラマ「アンナチュラル」の主題歌「Lemon」を手がけ、

お茶の間を巻き込んだブレイクを成し遂げました。

この「Lemon」が2018年を代表するロングヒットとなり、

昨年のビルボードジャパンを制したことは言うまでもありません。

 

でも、今、SixTONESが目指そうとしているのは、そのさらに向こう側。

北米進出ーーすなわち、グローバルレベルでのブレイク。

 

目指すは、「日本発、北米でブレイクする人気ボーイズグループ」。

これを成し遂げたグループは未だかつてありません。

 

でも決して不可能ではありません。

ガールズグループの領域では、Perfumeがそのレベルで活躍しています。

また、他国で言えば、同じアジア圏から、韓国のBTSがそのポジションにたどり着いています。

おそらく、彼ら彼女らに学べることもあるでしょう。

ただ、もちろん一番大事なのは、SixTONESのメンバーが、

彼ららしく、彼らのスタイルで、可能性を信じて、戦っていくことだと思います。

ファンはただ信じて、応援を続けていけばいい。

 

SixTONESの戦いは、本当に始まったばかりだと感じます。

今回、「JAPONICA STYLE」で打ち出した彼らの進化は、まさにその第一歩に相応しい。

歌詞をよりメッセージ性の強い形で英語化した本作は、

「俺たちは世界に挑む日本からのチャレンジャーだ」という宣誓、宣戦布告に他なりません。

 

YouTubeから英語版の「JAPONICA STYLE」を再和訳した歌詞を一部紹介します。

 

俺たちは前を向いて立ち上がろう

苦しいときでさえも

JAPONICA STYLE

俺たちは花のように咲き誇りたい

 

チャンスを掴め 決して引き下がるな

何が起こるか誰にも分からない

夢、恋、桜 JAPONICA STYLE

 

決して急ぐことはない

決して諦めはしない

やってみようか

自分のためにずっと続けるしかない

 

今日限りの命だと思って生きろ

永遠の命があるつもりで夢を描いて

夢、恋、桜 新たな世界を見よう

 

風に舞っている花びらが見えるか?

 

俺たち JAPONICA STYLE

わびさび JAPONICASTYLE

すべてが変わるだろう でも俺たちは昇り続ける

空へと昇り続ける

 

どうやっていこうか JAPONICA STYLE

俺たちならやり遂げられる JAPONICA STYLE

俺たちはその瞬間のために生きている

決してその瞬間を逃してはならない

 

俺たちはJAPONICAだ

行こう

SixTONES、SnowMan、デビュー決定おめでとう。これからも変わらず応援します。

2019年8月8日。SixTONESSnowManのデビューが発表された日。

 

残念ながら現場に行くことは叶わず。

けれど、画面越しでその歴史的瞬間を見届けることができました。

 

不思議な感覚です。

僕はデビュー発表というものに対して、サプライズのイメージを持っていました。

 

事務所の大人たちから、

不意にプレゼントのように渡されるデビューというご褒美。

メンバーもまたサプライズ的に知らされる晴天の霹靂ともいうべき出来事。

そんな、サプライズのイメージ。

しかも、今回は同時デビューという前代未聞の初のデビュー形式。

 

けれど、僕はこの日この発表が行われることを、

知っていた、わかっていた。何だか、そんな気がしています。

なぜなら、今振り返ってみると、滝沢社長を含め、

彼らはずっと今日この日のための準備をしてきたのだとしか思えないから。

 

光る、兆し。SixTONESはずっと僕たちファンの前にその兆しを見せてくれていたから。

桜、ひらり。SnowManは桜の花が咲く頃に夢が叶うと約束してくれていたから。

 

そう感じるファンも少なくないのではないか、と僕は思っています。

 

その日は、朝からTwitterのタイムラインを見ていましたが、

皆んなハッキリと口には出さなかったりするけれども、

どこかソワソワとして、なんだか落ち着かなくて、

今日がその日だと、きっとこうなるのだと、感じているんじゃないかとそう思いました。

 

2組同時デビュー。

今までになかった形ではあるけれど、

フタを開けてみれば、この形しかありえなかったようにすら感じます。

 

だから、驚きというよりも、安堵した、という感覚が近いかもしれません。

SixTONESSnowMan、この2組が永遠のライバルとしてスタートできて本当に良かった。

 

唯一、Travis Japanが同じスタートをきれなかったことについては、

彼らの悔しさを思うと、心臓がきゅっとするような思いがしますが、

けれども、Travis Japanのことについて、僕はあまり心配をしていません。

如恵留、泣いていましたね。でもその涙が彼らをもっともっと強くすると思います。

夢のHollywoodが、きっと彼らを待っていると信じています。

 

改めて、SixTONESSnowMan、デビュー決定おめでとう。

これからも応援を続けます。

これからも夢を追うあなたたちのファンでいさせてください。

人狼ガチ勢が語る「蓮とビス」人狼ゲームにおける中村海人のキラープレイ

前回の記事の最後でも少し語ったんだけど、まだ話し足りないな〜と思ったので書くことにしました。

蓮とビス最終回で行われた、兄組の人狼ゲーム。

※ゲームの配役や進行や勝敗についてネタバレがあるので未見な方はご注意下さい

 

何故かと言うと僕、人狼ガチ勢なんですよ。

人狼好きにしか通じないと思うんですが、アルティメット人狼は全回見てるし、スリアロも八割くらい見てるし、TLPTもかなり観劇してるし、対面戦績数はたぶん3桁。TLPTメンバーと同村時にメイソンから見事に護衛されて勝利したのが今でも思い出。

ただ別に強くもないんですが、多少人狼に明るい自信はあります。

 

そんな僕から見て、今回の人狼ゲーム、

個人的ベストプレイヤーはラストウルフの中村海人くん(うみんちゅ)でした。

 

ただ、この評価、人によって分かれるだろうなとは思います。

盤面ロジックから不要とも言えるCO(カミングアウト)をした点でうみんちゅを評価しない人もいると思う。

ロジック自体への視線の明るさは樹が卓抜していた。

実際、最初の2狼を吊れたのは、樹の進行と観察眼がかなり見事だったから。

 

けど、僕は、ロジック重視進行をあまり好まないタイプです。

人狼ゲームって、半分くらいはロジックが大事なんですけど、

もう半分くらいは「ロジックを越えようとする心理戦」が大事だと思うんですね。

そこに求められるのは、観察力だったり、演技力だったり、

パッションだったり、思い切りだったりする。

この「心理戦でロジックを越えようとする」人がどれだけいるかで、

人狼ゲームの面白さが決まると僕は思っています。

むしろロジックが苦手な方には、積極的に心理戦から挑んで欲しい。

 

今回、そんな心理面でのバトルを一番上手くやったのがうみんちゅでした。

逆に言うと、自担ながら言いにくいんだけど、樹は若干プレイングミスだったなという評価。

樹は進行上のロジカルな判断はパーフェクトで、そこには全くミスはなかったし、その面だけから言えば兄組の中でかなりできるプレイヤーだと思うんですが、心理戦では惜しかった。

 

まず冒頭。「疑わしき人物」としてさっくんが浮上しました。

実際にさっくん人狼だったわけですが、さっくんのプレイミスは「市民」だと言ってしまったことですね。まあ、彼のキャラクター上は仕方ないですね。「市民だ!」と言うのが彼のキャラクターみたいなところがあるので。

でも、例えば、「市民とは言ったけど、市民側ってだけで、何か役職を持っているかもしれないじゃないか!」なんて発言があれば、少なくとも吊り回避は出来たかもしれません。

ただ、さっくんがここで市民と明言したことで、樹が「市民なら吊っても問題ない」というロジカルな判断を下し、みんながその判断に乗って初日の狼吊りが決定しました。

SnowMan人狼でも同じでしたが、さっくんの市民主張って基本的に「自分は人狼ではない」以外のことを言っていないので、吊り逃れられる主張ではないところがウィークポイントです。

吊り逃れは、「別の人物に疑いを向ける」か「役職を名乗る/匂わせる」のどちらかが出来ないと難しいですね。

もちろん、さっくんトークでゲームは盛り上がったし、

さっくんはそういう意味ですごくいいプレイヤーだと思います。

楽しく場を盛り上げられるゲームを作れるのは、人狼プレイヤーに大事な才能です。

 

初晩で阿部ちゃんが襲撃され、2日目の朝。

「疑わしき人物」にしずが浮上しました。2日目で起きたことは、実は初日と同じ構造です。

特に何のロジックもなく、本人のキャラクター/性格を加味した「疑い投票」で選ばれたしずが、たまたま人狼だったという話です。つまり、さっくんと全く同じ。

ここでもしずが市民なのかどうなのかという質問が行われ、しずは「市民側のマンモス」などと誤魔化していましたが、市民なのか役職なのかと問い詰められ、結局「普通に市民」と言ってしまいます。

ここで当然、初日と同じ樹から「市民なら死んでもいいな」というロジックで追われました。

しずからすると、真の占い師である阿部ちゃんが死んだことは知らない状況でしたが、それでも本来はここで占い師を名乗るのがベターでした。

今回の場合は、阿部ちゃんが死んでいるので占い師を完全に乗っとれた盤面でしたし、もし、占い師が死んでいなかったとしても、この状況で占い師を騙るのは有効な戦略です。真の占い師をおびき寄せることができますからね。

霊媒師は2人いるレギュレーションなので、霊媒師を騙って結果騙りをするのはかなり難しいし、騎士騙りが有効と言える盤面でもありません。なのでしずはここで占い師を騙るのが最もベターな戦略でした。そうでなければ、初日と同じロジックが働き、吊り逃れはほぼ不可能だからです。

ちなみにここで見事なのは慎太郎でしたね。「阿部ちゃんを襲撃しそうな人狼って……」という視点での推理にここで踏み出せていた。

疑った元太は違いましたが、心理的な視点は極めて正しいです。

北斗とジェシーがそこに乗って元太に疑いを向けたのも良かった。ほぼ吊り位置が決まった状況下でするべきことは、グレーの疑わしき人物をロジックでなく疑っていく市民の思い切りだからです。

 

ここでしずが吊られ、3日目の朝、襲撃されたのは樹でした。

ここで襲撃されてしまうことに樹のプレイミスがあり、うみんちゅのキラープレイが光ります。

樹は初日に阿部ちゃんが襲撃されたことを踏まえ、人狼の襲撃パターンを推測するべきでした。

襲撃パターンは明快かつ合理的で、慎太郎の推測通りです。

「ロジカルかつ議論上で脅威となりうる人物を襲撃する」。

初日の阿部ちゃん襲撃を決めたのがうみんちゅであるかどうかは別として、この時点で樹襲撃を決定したのはうみんちゅですね。ここで騎士を抜けていました。お見事です。

 

樹は騎士であるにも関わらず、明らかに狙われやすい進行位置にいました。

ロジカルで多弁な進行をするのは樹のプレイスタイルだと思いますが、2日目で襲撃パターンに気付いた上で心理戦を展開するなら、2日目の時点ででわざと「疑われ位置(SG位置=スケープゴート)」に入れる心理戦を仕掛けられれば一枚上手だったと言えるでしょう。

例えば、樹は「俺結構喋ってるけど俺のこと疑ってる人いる?」みたいな差し水を向けたらよかったかもしれないですね。

「なんでそんなこと言い出すのか?  人狼なんじゃないか?」と誰かから発言を引き出して、疑い位置に入れればベターです。人狼はSG位置に入った人物を襲撃しにくくなるからです。

けれど実際にはしずが吊られた後、樹が襲撃されました。

ここからラストウルフ、中村海人の戦いが始まります。

 

疑わしき人物として浮上した髙地が霊媒師COし、さっくんとしずが人狼であったことを明かします。

ちなみに、今回の髙地のプレイも素晴らしいプレイでしたね。

北斗が「髙地、普段だったらもっと喋るのに喋らなかった」というトークを向けましたが、多弁な人物が襲撃され、注目された人物が処刑される今回の進行の中で、人狼の死を知った霊媒師がするべきことは、議論中なるべく寡黙にして注目されにくく振舞うことだからです。

そして人狼の残り数から、ここでの髙地のCOはパーフェクトだったと言えます。これはもちろん続けてCOしたまつくにも言えることです。

さきほどと同様ですが、ここで慎太郎がグレーである康二への疑いにすっと議論を切り替えたのもいいプレイですね。ちゃんとさっくんの吊り議論からの推理に移行している。実際には、慎太郎はミスリードをしていて、康二は狼じゃないんですが、2人霊媒の真偽はほぼ確定なので、ここでグレーの議論に移行する発言自体は良かったと思います。

そしてここでのうみんちゅは見事。寡黙に徹しましたね。誰からも疑われず生き延びました。

康二に疑いが向いたのをいいことに、議論をそのまま泳がせていたんですね。

 

ここで康二が処刑され、ジェシーが噛まれました。

このジェシー噛みは合理的で見事。

追放投票の時、霊媒師の髙地が「待った、俺殺されるわ」っていうんですね。

そこですかさずジェシーが「騎士が、霊媒師守ればいいんでしょ」と発言。

うみんちゅは明らかにここでジェシーを騎士位置だと疑ったはずです。

実際にはジェシーは騎士ではなく、樹が騎士だったわけですが、うみんちゅはちゃんと明確に発言から騎士を狙いに行っているんですね。素晴らしい。

 

ちなみに、ジェシーがどこまで意図したかは不明ですが、騎士保護の観点から言えば、このジェシーの発言はナイスプレイでした。

しかも、ジェシーは実は前の晩の占い師が出てこない状況の議論で、「占い師が死んでいるということは樹と阿部ちゃんのどちらかが占い師だったんだ」という盤面整理をちゃんとこなす発言をしていました。

一方で、ジェシーはふっかや慎太郎や北斗ほどの多弁ではなかったので、潜伏騎士らしい振る舞いも完全にできていたと言えます。

 

さて、ラストターンですが、緊急ルールが追加されました。

「今回のターンで人狼を処刑できなければ、市民の負け」。

かなり人狼寄りのズルイ追加ルールだと思いますが、このゲームはあくまで動画化されるショーなので致し方ないとは思います。2狼と占い師が死んだ以上、このまま続けてもグレーの殴り合いしか起きなくて、見応えにかけてしまいますからね。

 

ここでうみんちゅの動きは本当に見事でした!

普通、残り人数で言えば騎士は出るべき盤面ではありません。しかし、緊急ルールの追加でラストターンになった以上、「騎士は絶対にCOするべき役職」になったんですね。

普通、ここで人狼が素早く騎士COするのは相当勇気がいります。

この時点で「疑わしい人物」に上がっていたのは、ダテ様だったので、うみんちゅは実際黙っていても大丈夫ではあったんですね。

そもそも誰の目線でも真騎士が生きている可能性はありましたから、ここで真騎士が対抗に出られてしまえば、一気に吊り候補がうみんちゅを入れた二択になってしまうんですよね。

でも、そのロジックに勝ってうみんちゅは騎士COができた。直後に謎の「市民の人は手を挙げて」というコールに誤って手を上げてしまっていましたが、うみんちゅの騎士COは完全に成功していたので、心理的にそこでの疑いからは逃れられました。

誰かが「うみんちゅ市民に何で手を挙げたの?」と気付いて疑いを向けたとしても「間違えちゃった」で済ませられるレベルで、騎士COは成功していました。

 

実際、最終盤面なので、結局うみんちゅは疑いを向けられたら、騎士CO以外の有効打はない盤面だったんです。万が一真騎士が生きていても、少なくとも2択までは行けます。

だからこそ信用を勝ち取るには早さが全て。真騎士が出た後、トーク中に自分に疑いを向けられてから「実は騎士」とCOしても勝てません。

なので、あのスピードで判断して、騎士COを思い切ったうみんちゅは見事です。

樹を騎士と見抜いたのではなく、ジェシーで襲撃で騎士を抜いたと判断していたのだと思いますが、それにしてもパーフェクトプレイ。

人狼プレイヤーとして、最終盤面で騎士CO回避できるラストウルフってめちゃくちゃカッコいいと思います。本当に見事ですね。

 

もちろん、ちゃんと「市民COした人物は吊っても良い」という正しい目線でロジカルに2狼を追い詰めた樹も見事でした。カッコ良かった!

ただ、フタを開けてみれば、このゲームは最終的に樹VSうみんちゅだったわけで、自担の負けを認めるのも悔しいですが、中村海人のパーフェクトラストウルフは認めざるをえないと思いました。

 

僕は樹のリベンジが見たいので、是非また兄組で人狼してください。

楽しみにしてます。

「蓮とビス」は兄組シャッフルの楽しさが良かった。推し高校は、足立油田高校です。

7月29日から7日連続でジャニーズJr.チャンネルで公開された特別企画「蓮とビス」。

 

SixTONESSnow ManTravis JapanHiHi Jets、美 少年の5グループ33名が総出演し、風変わりな設定の高校に通う生徒たちがカフェ「蓮とビス」にやってきて繰り広げる軽演劇。

 

芸人であり構成作家/脚本家でもあるニブンノゴ!の宮地さんが脚本を手がけ、稽古やリハなしで撮影されたそうで、アドリブ要素の強い即興コメディになっています。

全編、風変わりな高校やカフェなどの設定を元にした会話劇パートと、いつものYouTubeらしいレクリエーションパートを混ぜた構成です。

 

1話ではドゥビドゥバゲーム、2話では下半身トレーニング、3話ではロシアンルーレット演技対決、4話ではドゥビドゥバゲーム+「さ」行禁止フリートーク、5話ではサイレント笑わせゲーム、6話ではエア食リポ当てゲーム、7話では人狼ゲームのレクリエーションが行われました。

会話劇は風変わりな設定を持つ高校のキャラクターがメインでした。

葛飾エスタン高校、墨田スクワット体育高校、江戸川サーフィン水産高校、足立油田高校、江東グルメ高校などといった高校が登場しました。また、カフェ「蓮とビス」の従業員たち、アイドルグループ「シャイニーズ」も登場し、それぞれが1話ごとの会話劇を作るという構成でした。

HiHi Jetsは全員が「江東グルメ高校」、美 少年は全員が「シャイニーズ」だったのに対して、いわゆる兄組(SixTONESSnow ManTravis Japan)は完全にシャッフルされていたので、兄組のシャッフルユニット的な楽しみ方も出来る企画になっていました。

 

今回の企画は、賛否の別れる部分も大きかったようです。

 

僕が全編通して思ったのは、

「メンバーシャッフルの試みとしては面白い!

けれど、会話劇の面で配役だけはもう一工夫できたんじゃないかな」

という部分でした。

 

この作品の会話劇パートは「樹とジェシーを逆にするだけで相当面白くなったはずだ」と思います。

 

この作品はコメディなので、ボケとツッコミが必要です。

そして「風変わりな設定の高校」というシチュエーションそのものがボケの基盤になるので、ツッコミはその外部に配置しないといけないんですよね。つまり、「カフェの店員」が一番正しい「ツッコミ」ポジションなんです。

そのベストツッコミポジションに、何故か最強のギャガーをキャスティングしてしまっている。

これは樹もジェシーも悪くなくて、完全にキャストミスだと思ってます。

ふざけまくる完全なギャガージェシーこそウェスタン高校の生徒にし、おかしな高校やおかしな店長にツッコむ店員として樹を動かした方が間違いなく面白かったと思います。

樹に指鉄砲打たせちゃダメだし、ウェスタン高校とジェシーの掛け合いは両ボケになっていて収集がついていません。

樹とジェシーの使い方が本当にもったいなかった……。

 

本編で、そこが唯一うまくいっていたのは第5話。

SnowMan向井康二が店員役として登場した回ですね。

おかしなバイト志望者とおかしな店長にちゃんとツッコミを入れる店員として、康二がかなりキレキレなツッコミが出来ていました。

全編通して、MVPは康二だなあというのが僕の正直な感想です。

 

とはいえ、会話劇パートの惜しさはあったものの、

純粋に兄組シャッフルユニット的な楽しみ方としてはよかったと思います。

油田高校のきょもしめ兄弟に如恵留執事なんて最高ですし、ひーくん率いるスクワット体育高校も良かった。メイド経験のある阿部ちゃんも良かったですね。

兄組と弟組を混ぜないのは正解だったと思いますが、弟組内でのシャッフルは見たかったですね。

美 少年が別撮りになっているあたりから察するに、アメリカ行きスケジュールの都合で無理だったんだろうなとは思いますが。

 

「蓮とビス」というネーミングが、ハロプロの「モベキマス」を連想させるようで初回から話題になっていましたが、そんなハロプロのシャッフルユニット的な面白さがあったのはすごく良かったですね。

僕のお気に入りは、ダントツできょもしめのえるの足立油田高校です。

大体、ハロプロのシャッフルユニットでも、一番人気は一番少人数のユニットですよね。

 

 

蓮とビス、今回の企画はあくまで初回なので色々大変だったと思いますが、シャッフルグループを盛り込んだ企画というのはまたやって欲しいなと思いました。

8月8日、足立油田高校のコーナーとかないでしょうか?笑

 

あと、最後の人狼はこの企画とは別にして、ぜひもう一度やって欲しいなと思いました。

あの人数でやるならもっとガチの配役組んで、狐とかパン屋とか入れて、

出来ればアナログカード使って、本格的に人狼ゲームやって欲しかったなあと。

まあ、これは単に運ですけど、樹と阿部ちゃんに役職が当たって噛まれ位置に入ってしまったことや、人狼を引いたさっくんやしずが分かりやすく吊り位置に入ってしまったのは、ゲーム上勿体無かったですね。

 

ただ、うみんちゅの騎士騙り、僕はかなり好きです。

盤面上あの騙りは本来やらなくても問題はなかったけど、

人狼としてしっかり騙りに出る姿勢がプレイヤーとしていいなあと感じました。

うみんちゅの推し度、僕の中ではかなりあがりました。

樹には人狼やって欲しいし、阿部ちゃんには狂人やって欲しい。

ま、こればかりは引きの運ですけどね。

いつかSixTONESの京本大我とKing Gnuの井口理さんが同じステージで歌う姿を僕は見たい

ミクスチャー・ロックバンド「King Gnu(キング・ヌー)」。

 

先日のSixTONESオールナイトニッポンの後、King Gnuのメンバー井口さんがパーソナリティを務める「オールナイトニッポン0(ZERO)」が放送されました。

King Gnuファンを公言している(京本)大我が番組中で投げかけたラブコール。

井口さんが番組中でもTwitter上でも、SixTONESの人気をいじりつつ、

そのラブコールに気持ちの良い返しをしてくださいました。

さらに先日の「すとーんずのぶろぐ」でも大我がもう一度ラブコール。

 

こういうの、いいですねぇ……。

 

音楽の仕事をしている彼らだけど、当然、彼ら自身もまたひとりの音楽ファン。

好きなアーティストに接する機会があったら、嬉しいに違いないですもんね。

だって、好きなアーティストって、それはもう神みたいな存在ですよ。

ヲタクってみんな一人一人神をそれぞれ信仰していると思うんですが、

想像してみてください、神が自分の前に降臨する瞬間。

想像するだけで気絶しそうですよね。無理です。

大我、本当に良かったね……。

 

で、King Gnuさん、かなり人気のアーティストのようなんですが、

僕は大変恐縮ながらKing Gnuさんをこれまでほぼ知りませんでした。

音楽的にバンドサウンドへの関心が低くて、知る機会が本当になくて。ごめんなさい。

 

でも、今回、大我が「その声に生まれ変わりたい」みたいなこと言ってたので。

聴きました。

正直、聴く前は「いやいやいや大我、君こそめちゃくちゃいい声なんだからそんな……」

って反射的に思っていました。

実際、ラジオで「オールナイトニッポン0(ZERO)」で喋る井口さんの声は普通で。

聴き心地の良い声ではあるけど、まあでも普通の声だよな〜って。

そう思ってしまってました。※井口さんのラジオは途中まで聞きました

 

ついさっきYouTubeで「白日」を聴いてみるまでは。

 


King Gnu - 白日

 

マジだったわ……。

なんだこの声……美しい……こんな声出る人いるんですね??

あのラジオの人と同一人物???

大我が憧れるのも理解できますね。凄まじい声帯………。

 

番組やTwitterでは井口さんが「SixTONESには勝てない」みたいな謙遜をされてましたが、

King Gnuの「白日」は今年の2月末に公開後、既に約5000万再生近く行っていて、

日テレのドラマの主題歌にも起用されているんですよね。

初のメンバー全出演だったSixTONESに対して、

井口さんはレギュラー放送かつ1人でパーソナリティされてるラジオですし、

あとはもう、アイドルっていう部分でのファン層の違いもありますし。

むしろKing Gnuさんこそ、SixTONESがたどり着きたい位置にいる方々だと思います。

 

軽く調べてみたけれど、King Gnuがメジャーデビューを果たしたのは今年。

それまでは自主レーベルで活動されていた方々みたいですね。

King Gnu」というバンド名は、少しずつ群れを拡大し、

やがて巨大な群れになる習性を持つ動物の“Gnu=ヌー”にあやかったものだそうで。

老若男女を巻き込み大きな群れになりたいという思いが込められているんですね。

King Gnuはこれからもどんどん人気になって、

本当に誰もが知るレベルの人気バンドになっていくんじゃないかなと思いました。

 

SixTONESも「いつの日か原石が際限ない輝きを放つよう」、

そんな未来への想いを背負ったグループです。

ジャニーズであり、アイドルであるというバックグラウンドから、

ひとつの音楽グループとしては、なかなか評価していただきにくい彼らではあります。

 

けれど、ジャニーズであり、アイドルであるというバックグラウンドも活かしつつ、

その上で、King Gnuさんのように、歌声で老若男女に愛されるグループに。

SixTONESにもそんなグループになって欲しいなあと改めて感じました。

 

「来週SixTONES呼ぼうよ!トレンド1位入れてドーンってSixTONES呼ばないと無理だ!」

井口さん、こんなことおっしゃってましたが、

もう、本当にファンとしては「ぜひ!」という気持ちですよね。

SixTONESとの共演、是非是非実現させて欲しいです。

 

そしていつか、何かの音楽番組とかで(関ジャムみたいな)、

同じステージで歌ってください。僕はそれが見たいです。

初めての「SixTONESのオールナイトニッポン」

SixTONESオールナイトニッポン、聞きましたか?

最高に素晴らしかったですね。

 

もちろん、彼らのトークの楽しさは、ご存知の通り。

でも、今回は「オールナイトニッポン」。

深夜放送の代名詞とも言うべき化け物番組。

ラジオ番組としての歴史は言うに及ばず、ジャニーズ史上でも例のない起用ですから、Twitter上のスト担たちの盛り上がりは今まで以上に白熱していた気がします。

僕が思わず涙ぐんだのは、タイトルコールでした。

 

SixTONESの、オールナイトニッポン!」

誰もが聞いたことのある、あのトランペットジャズのジングルをBGMに、このタイトルコール。

いやぁ、心が震えましたね。

 

いま、ラジオって、すごく不思議な位置のメディアだなと感じます。

テレビ、新聞、雑誌などと同じくマスメディアに位置しつつ、実は広告費を伸ばしている成長産業。

エリアフリーとタイムフリーを実現し、

何よりもラジオをスマホで簡単に聴けるようにしたradikoの存在が大きいですよね。

radikoのおかげで、今やラジオはYouTubeNetflixのような「ネットメディア」に近い位置にあるんじゃないでしょうか。ラジオはもはや完全にスマートフォン向けのアプリ/サービスです。

このあたり、ネットへの移行にうまく舵を切れなかった新聞や雑誌とは違う。

ラジオはマスメディアの中で唯一ネットメディアへの移行に成功できているメディアなんじゃないかなと思います。

ラジオは特に、Twitterのようなリアルタイム性の強いSNSとの相性も大きい。

ラジオが日本のトレンドに与える影響はこれからも大きくなっていくはずです。

海外から聞けない現状だけは少し残念ですが、いずれはこの国境の障壁も無くなるはず。

デジタルに放たれたジャニーズ、次世代ジャニーズであるSixTONESの活躍の場としてぴったりじゃないでしょうか。

 

そんなラジオの中でもオールナイトニッポンといえば、そのブランド力は絶大です。

長年愛され続けた長寿番組で、「オールナイトニッポン」ファンもたくさんいる。

このラジオをキッカケにファンになってくれる人もきっといる。

今回、そんな大きな番組を1日とはいえSixTONESが任せられたことは快挙だし、

本当に喜ばしいことだと思います。

 

メンバーみんなのトーク、本当に全員それぞれ面白かったです。

ただ、個人的には自担のひいき目があることも承知の上で、

田中樹のトークを牽引する力が、群を抜いて光っていたと感じました。

 

そして樹のトークをちゃんとメンバー全員が信頼してる。

樹がいるからどんなにボケてもスベっても、進行がちゃんとできる。

メンバー全員がそのことを強く信じているから、安心して楽しく、

いつも通りの彼らの魅力が出ていたんじゃないかなと。

 

普段岡村さんのラジオを聞いていた方にはどんな風に届いたんだろうか。

SixTONES結構面白いじゃないかと思ってもらえたかな。

ラジオ番組のプロデューサーさんにはどう思ってもらえたかな。

SixTONES、レギュラーに起用したい!   そう思ってもらえたかな。

 

僕はまだまだ彼らのトークが上手くなっていくと信じてます。

今思えば「すとらじ」も、ラジオレギュラー獲得のための布石だったんだろうか。

彼らは「すとらじ」でずっと「練習」をしていたのかもしれない。

オールナイトニッポンという巨大な看板の下でラジオをする日が来るから。

 

深夜ラジオを聴きながら、コーヒーを飲んで、ベッドサイドで窓の外の景色を見てました。

夜空の向こうで同じ時間を共有してる彼らがいるんだなぁって。

何度となく見たことのある景色なのに、

国道を走るトラックとか、蒸し暑い夜の風とか、一度きりの夜の色が、

すべていつか

僕らはあのときSixTONESの最初のオールナイトニッポンを夜更かしして聴いていた

スト担それぞれみんなの想い出になる日が来るんだろうなって。

※もちろんタイムフリーで後から聞いた人もね。

 

こんな夜更かしが毎週のことになったら、実はそれって社会人としては結構大変だけど、

でも、そうなった時は絶対ついていきますね。

 

レギュラー獲得、信じてます。

SixTONESファン/ミュージカル初心者の初『エリザベート』〜第2幕〜

前回の続きです。

 

2幕。ルドルフとしての大我の歌声を聞いて、はっとしました。

 

別人のようだ。

僕がこれまで見ていたSixTONES京本大我では、ない。

発声も、表情も、発するオーラも何もかも違う。

そうか。これが大我が作った「皇太子ルドルフ」なんだ。

 

1幕の間、僕は本格的なミュージカルをはじめて目にして圧倒され続けていました。

それは未知の世界を体験する感覚でした。

まず発声が違う。

当たり前かもしれないが、響き方がまるで違う。

しかし、それに対しては「自分の知らない出演者の皆さん」のことだから、

「この舞台に出演できる人と言うのは、すごい人たちばかりなのだな」という

そういう感覚も強かったと思います。

 

ある意味で、その感覚はたぶん当たっていた。

けれどちゃんと気付いていなかった。

 

この舞台に出演できている京本大我も、すごい人なのだ。

 

この2幕で、僕の感情は右に左に揺さぶられました。

「ミュージカル エリザベート」という作品世界に。

そして、京本大我を含む、出演者陣のすばらしさに。

 

先に作品世界の話をしましょう。

この作品にはずっと通奏低音としてある問いが流れ続けています。

エリザベートの死の真相は? 動機は愛だったのか?」

これは最初のシーンで描かれた煉獄の裁判所から、ずっと観客が問われ続ける問いであり、僕もまたこのことに思いを巡らせながら観劇を続けました。

 

この問いは難しい。

本作はラブストーリーのようにも描かれている。中心を貫くのはエリザベートとトートの恋愛だ。

そして普通、ラブストーリーにおいて、愛はおよそ無条件に肯定されるものだ。

けれど、この作品は一味違います。

トートは黄泉の帝王であり、死を擬人化した存在として描かれます。

エリザベートは自由を希求する存在として描かれますが、ここでの自由とはあらゆる人や社会、様々な義務に縛られないことを指します。

そんな自由を志向するエリザベートの視点の先には、常に死があるのです。

生の世界に、自由はない。

観劇中、本作は極めてあやうい主張を試みているのでは、という疑念が何度も僕の頭をよぎりました。

その主張とは「自死の肯定」です。

 

僕はなにも「自死は悪だ」と断定的な考えは持っていません。

人には死ぬ自由があるとは思う。

ゆえに安楽死尊厳死をめぐる社会的な議論にも価値があると思う。

けれど、それはきわめて難しい問題のはずです。

僕は観客としてストーリーを追いながら考え続けました。

精神的自由を希求する皇妃エリザベートの愛のストーリーを持って、そんな難題に対して、この物語は何か答えを導けるというのか?

この物語は、いったいどんなメッセージを持っているというんだ?

それとも、やはり一般的な社会規範に従って、「死ぬなんてよくない、生きる歓びを愛せ」という「ごく普通の結論」に向かうのか?

しかし、であれば、このストーリーにおいて、愛は否定されるのだろうか?

 

2幕中盤、観客は思い知らされるのです。

この物語は、どこまでも愛と死を同一視し、甘美なものとして描く。

その甘美さが極まり、美しくなればなるほど、観客は戸惑うのです。

 

 

その頂点こそ、皇太子ルドルフと黄泉の帝王トートの、死を導くキス。

そして「闇が広がる」。

皇太子ルドルフの周囲に闇が満ち、孤独な心を募らせてゆき、苦悩が彼を包む。

その闇の中だからこそ、死神の美しさ、甘美さが際立ちます。

 

トート「子どものころのあの約束は君が求めれば現れる」

ルドルフ「友だちを忘れはしない 僕は今不安で壊れそうだ」

トート「そばにいてやろう」

 

なんと甘やかなトート。なんと心にせまるルドルフ。

だが、二人が交わすのは死の接吻だ。

真面目なルドルフは、不安の中で壊れそうになり、死んでしまうのだ。

本来、このうえなく苦しく、悲しい、悲痛なストーリーのはずです。

それでも、物語はこの死に、この上なく美しいキスを重ねて描く。

広がる闇のなかで、ただひとすじのスポットライトが、

あまりに美しくそのキスを浮かび上がらせるのです。

 

僕はここで同時に、この物語が舞台作品であることの究極の意味を感じました。

「そうか、これは見るたびに違うんだ」

何度も何度もこの舞台に足を運ぶという方がいること、そもそもこの舞台が再演を繰り返されているということ、その意味を受け止めました。

ルドルフはトリプルキャストで、トートはダブルキャスト

回を変えれば、キャストも異なり、ルドルフとトートの表情は異なるのだ。

いや、たとえ、同じ組み合わせでも、回を重ねることにより、

その日にしか見られないルドルフとトートがそこにいるのだろう。

 

だから、僕が目撃した「愛と死の甘美さ」は、きっと回により異なる。

ある回ではルドルフが死を受け止める様子が安らぎのように見えるかもしれないし、ある回は極めて悲しく傷ついたルドルフが印象に残るのかもしれない。

 

僕が見た回の古川トートはあまりに美しく、圧倒的で、すさまじい引力を感じました。

有無を言わさぬ説得力。引き込む力。

この上なく甘やかで、その視線でとらえたすべてを絶対に逃さない黄泉の帝王だった。

けれど、大我ルドルフもその引力に負けてはいませんでした。

その道しかないと覚悟を決めた切迫感、死という道に身を投じる覚悟、黄泉の帝王の前でも臆しない気高さ。

それはたぶん、間違いなく大我ルドルフだからこそ魅せられた迫力でした。

 

 

物語はルドルフの死を超え、ついにエリザベートの死へと向かいます。

僕はようやくこの物語の終わりに差し掛かり、この物語の巧妙な仕掛けに気付きました。いや、むしろ、最初からずっとそうだったのだ。

 

この物語の観客は、最初から最後まで、煉獄の裁判を見守る陪審員なのです。

だからこの物語は「答えを出さない」。答えを見出そうとするのは観客の役目なのだ。

エリザベートの死の真相は? 動機は愛だったのか?」

それにも決して物語自体は答えを出さない。

死とは、愛とは、肯定するべきものなのか?

それもすべて、キャストの表現するものを見つめながら、観客が考える事なのです。

今回のブログでは強く語らなかったけれど、例えばルイジ・ルキーニの存在をどうとらえるかによっても、この物語の見え方はまるで異なってきます。

 

なんて面白い。

そう、本作のすべてはキャストの表現に託されているのです。

繰り返しの再演に耐える作品の力とは、こういうことなのか。

 

物語の最後。

エリザベートの死にあたって「なんの具体的なメッセージも発されない」という、ある意味では、アクロバティックなラストを目の当たりにして、僕は心の底から拍手を打ちました。

ただ淡々と最後の死が描かれ、その死の真相をどう受け止めるかは、その日、素晴らしいキャストたちが演じた「エリザベートの生涯」を前に陪審員=観客が考える事なのです。

 

今回、僕はエリザベートを1回しか観劇できませんでした。

でも、もしかしたら、1回で良かったのかもしれない、とも思います。

「また見たい」。今のこの思いを大事にしたいと思います。

同じ作品を何度も見たいと思うものだろうか?

観劇前、どこかそういう風に思っていた部分が多少僕にはあったからです。

こんなにミュージカルって面白いのか!

 

本当に素晴らしいミュージカルは、再演の度に違う表情を見せるのでしょう。

1度きりの鑑賞でしたが、本作にもその予感を感じとる事ができました。

そして、このすさまじい表現の世界に身を投じた大我のことを、

改めて見直す機会になりました。

 

僕が知っていた京本大我では全然なかった。

僕は京本大我を全然わかっていなかったんだ。

こんな舞台に立つことができている、京本大我って、ものすごい人なのだ。

 

大我ルドルフは2015年、2016年に続き、今回が3回目だそうです。

連れて行って下さった同行者さまは、長年ミュージカルを何度も観劇されている、とてもミュージカルに詳しい方でした。SixTONESのファンであるよりも前に、ミュージカルファンとしての歴がとても長い方でした。

その方がこんな風におっしゃってました。

 

1年目の大我くんは、まだ子どものようだった。

2年目の大我くんは、すごく成長していた。

今回は、大我ルドルフの集大成ではないかと思います、と。

 

その大我ルドルフの集大成を間近で見る事ができて、本当に感激しました。

「いつか大我のトートを見てみたい」とも思いました。

僕の思い込みでしかありませんが、この願いはいつか叶うような気がしています。

 

このブログを書いている途中、5月に東京・日生劇場で上演されるミュージカル『ニュージーズ』への主演が決まったことを知りました。

しかも今回のエリザベートの演出を手掛けた、小池修一郎氏の演出であると。

楽しみで仕方がありません。

SixTONESファン/ミュージカル初心者の初『エリザベート』〜第1幕〜

前回の続き。エリザベートの感想ブログ、1幕終わりまでの感想を書いていきます。

 

ミュージカル「エリザベート」は途中25分の休憩を挟んで3時間越え、2幕構成の作品です。

1幕を終え、休憩時間となったとき、僕はあまりの出来事に呆然としていました。

 

僕は、凄まじいものを見たぞ。

出る人、出る人、みんな歌も踊りも凄まじく上手すぎる……

 

感想が雑すぎると怒らないで欲しい。

あのキャストのここの歌声が良かったとか、

どこのシーンのダンスにキレがあったとか表情が良かったとか、

まだ僕はそんな風に落ち着いて語れるほどの境地にいないのです。

 

僕は長年のアイドル好きですが、アイドルは歌が上手い子たちばかりではありません。

でも、アイドルはそれでいいのです。

アイドルは、歌声だけでない様々な個性のバランスで成り立つ魅力があるから良いのです。

時には歌声の未熟さすらも魅力に転じさせるのが、アイドルです。

 

そんなアイドル現場に親しんだ僕にとって、

今回のような本格的なミュージカルの観劇経験は凄まじい衝撃でした。

全員、上手い。歌声の圧力がすごすぎる。

こんなに上手い歌声を生で聴き続ける体験、したことない………

え、なんか、役名も出てこない女中Aみたいな人まで、すごくない……?

 

次から次へと圧倒的なパワーのこもった歌声を浴びる体験は、

なんと言うべきか、もはや暴力的だと思ったほど。

なるほど、これは休憩が必要になるわけですね……。

心臓への負荷がすごくないか……?  みんなよく無事だな……?

 

1幕を見終え、2幕を前にして気にかかったのは、大我のことでした。

冒頭、煉獄の裁判所のシーンでの登場はあるものの、基本的に1幕で大我はほぼ出演しません。

ルドルフが生まれ、成長した後の2幕が大我の出演シーンとなるわけですが、

こんな凄まじい出演陣の中で、大我、ルドルフを演じるのか。

しかも、後半には「トート」とのシーンもあるらしいじゃないかーー

 

1幕冒頭、煉獄の裁判所にて、観客は煉獄の裁判所を見つめる陪審員となります。

エリザベート皇后殺害の罪に問われたルキーニは、皇后本人が「死」を望んだという。

そしてその動機は「愛」であると。

皇后が愛したのは皇帝ではなく、黄泉の帝王たるトート。

トートへの「愛」が、自らを突き動かしたのだと。

 

普通の物語なら、愛は喜び、死は悲しみを伴うものです。

けれど本作はここに問いを投げかけるのです。

 

「もしもその死が甘く美しい姿をしていて、

   義務や苦しみ、権力からの解放を意味するとしたら?」

 

その問いをただ投げかけても、こう答える人は多いでしょう。

 

「どんなに現実が苦しくても、どんなに死が甘美なものでも、

   やっぱり死を喜ばしいものとして肯定するのは駄目でしょ」

 

それでも本作は観客を強く強く戸惑わせるこの問いを繰り返し迫ります。

その問いにおいて、観客を戸惑わせるのは、一体なんでしょうか。

ーー僕を、戸惑わせたのは、一体何だったでしょうか。

 

自由を奪われ、嘆くエリザベート

自由を奪い、冷酷な生き方を迫るゾフィー

真実から目を背けるフランツ?

真実なんて汚いものと歌うルキーニ?

 

いや、何よりも、トートでした。

トートの、甘く美しいその姿です。

 

f:id:sixgre:20190711230932j:image

 

1幕を見終えたとき、

僕は古川トートの甘く美しい、力強い魔力にすっかり呑まれていました。

なんという破壊力。魔力。妖しさ、美しさ、狂おしさーー

 

観客の誰もが思ったに違いない。

このトートになら黄泉の国に誘われても着いてゆくーー

 

ルドルフ、君は2幕でこれほどまでに美しく恐ろしく人間離れしたトートと、

いったい何を見せてくれるというのか。

大我の力量が心配になったというわけではありません。

それは、困惑でした。2幕で僕は一体どんな大我ルドルフを目撃するのだろう、と。

SixTONESファン/ミュージカル初心者の初『エリザベート』〜観劇準備+開演前編〜

2019年6月7日から8月26日まで帝国劇場にて上演されている、

ミュージカル「エリザベート」を観劇してきました。

 

f:id:sixgre:20190710151103j:image

 

自由を愛し、類なき美貌を誇ったハプスブルク帝国最後の皇后エリザベートと、彼女を愛した黄泉の帝王・“トート=死“。

トートはエリザベートが少女の頃から彼女の愛を求め続け、彼女もその愛を意識するようになる。しかし、その禁じられた愛を受け入れることは、自らの死を意味した。

滅亡の帳が降りる帝国と共に、エリザベートに運命の日が訪れるーー

 

僕が観た2019年7月9日13時の回のキャストはこの方々でした。

 

f:id:sixgre:20190710151559j:image

 

エリザベートオーストリア皇后) 花總まり

トート(黄泉の帝王)古川雄大

ルイジ・ルキーニ(皇后暗殺者)山崎育三郎

フランツ・ヨーゼフ(オーストリア皇帝)平方元基

ゾフィー(皇太后剣幸

ルドルフ(オーストリア皇太子)京本大我

少年ルドルフ  大橋冬惟

 

これまでにミュージカルを観たことがないわけではないのですが、このような本格的なミュージカルを鑑賞するのは初めてでした。

正直に言うと、これまでこういう本格的なミュージカルに対しては、どことなく敷居の高さを感じていました。

けれど、今回お誘いくださった方が長年のミュージカルファンの方で、事前に観劇する際のアドバイスをいただけたので、とても良い観劇経験になりました。

 

観客の大半は女性の方で、中には作品の雰囲気に合った素敵なドレスを着た方もおられましたが、華美過ぎずラフすぎない、落ち着いたカジュアルな服装で来られている方がほとんどでした。ごくごく普段着で良いと思います。

もちろん、僕以外にも男性の方も何人もいらっしゃっていました。

ただ、女性の方が多いので、幕間の女性トイレはかなり混雑していました。

 

女性の方はお手洗いを観劇前になるべく済ませておいて、ドリンクの飲み過ぎにだけはご注意されたほうが良いと思います。

幕間のお手洗いは並んでも入れない可能性も高そうです。

ロビー内にはサンドウィッチなどの軽食やドリンクが売られていて、僕は無難なジンジャーエールを頼みましたが、オリジナルドリンクも複数用意されていて、どれも美味しそうでした。

フォロワーの方によれば「ウェディングベル」はベリー系のドリンクで美味しかったそうです。

僕はだいたい開場1時間前くらいに劇場に着きましたが、劇場内のポスターなどを観つつ、お手洗いを済ませ、ドリンクを楽しんでいたらちょうど良い時間でした。

 

f:id:sixgre:20190710135604j:image

 

僕が鑑賞したのはS席1階のN列です。

 

f:id:sixgre:20190710125403j:image

 

観劇前に双眼鏡は必須だと教えていただいていました。

ビクセンの双眼鏡がオススメと教えていただいたので事前に買って行きました。

帝国劇場近くのビックカメラで購入しましたが、座席にあった倍率が分かる表があったのと、複数の双眼鏡を試し比べすることができたので、ぴったりの物を選ぶことができました。

 

ちなみに、ビクセンのat6 M6×18を買ったのですが、適度な倍率でキャストの方をアップで見ることができて、本当に良かったです。

観る前は「S席って良い席じゃん…舞台全体を観るなら、もしかしたら双眼鏡っていらないんじゃないか……?」と一瞬疑問に思ったのですが、観たら分かりました。

双眼鏡、絶対持参したほうがいいですね、必須です。

たしかに舞台全体を観るときには双眼鏡は使いませんでしたが、全体を観たりアップで観たり、要所要所で切り替えながら鑑賞するんですね。

 

ストーリーについてはほとんど知らない状態で臨みましたが、問題なく楽しむことができました。

一応事前に文庫版の「エリザベートー愛と死の輪舞ー」を購入しておいたんですが、

実際には文庫版を読まない状態で、鑑賞しました。

まっさらな状態で観ることができたので、それで正解でした。

 

 

エリザベート 愛と死の輪舞 (角川文庫)

エリザベート 愛と死の輪舞 (角川文庫)

 

 

 

予備知識があると良いのではないか?

僕も観に行く前はそんな風に考えてもいたんですが、

予備知識がなくても十二分に楽しめるように作られています。

宝塚版の同名公演をノベライズした文庫版は、

今回の東宝版でも演出を手がけている小池修一郎氏ご本人により書かれていますが、

あとがきでこのようにおっしゃっています。

 

中央ヨーロッパ」という名称に耳慣れず、エリザベートとその時代、ハプスブルク家の栄枯盛衰、そしてその支配下にあった様々な民族等々に、浅い知識しか持ち合わせていないーー宝塚版「エリザベート」は予備知識が皆無な人でも楽しめるものでなくてはならない。

 

そうした歴史的事情への理解は、

確かに本作をより深く知る助けにはなるだろうと思うのですが、

そういうことは、まっさらな状態でまず鑑賞した後でも良さそうです。

 

それどころか僕は、京本大我以外の全キャストについて、

全く何も知らない状態で、今回エリザベートを観てきました。

ですが、観劇直後は出演されたキャストの方々への尊敬の念で心がいっぱいになりました

 

今回、ちょうど学生さん方が団体で鑑賞に来られる日だったようです。

こんな贅沢な観劇経験を若いうちから得られるなんて羨ましいな、という思いの一方、

僕は今三十二歳ですが、この歳から未体験の世界を楽しむことができた、

それもまた幸せだなと思いました。

 

本編の感想については、続きの記事で書きたいと思います。