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終わりはまだまだ遥か先の方だ

SixTONESファン/ミュージカル初心者の初『エリザベート』〜第1幕〜

前回の続き。エリザベートの感想ブログ、1幕終わりまでの感想を書いていきます。

 

ミュージカル「エリザベート」は途中25分の休憩を挟んで3時間越え、2幕構成の作品です。

1幕を終え、休憩時間となったとき、僕はあまりの出来事に呆然としていました。

 

僕は、凄まじいものを見たぞ。

出る人、出る人、みんな歌も踊りも凄まじく上手すぎる……

 

感想が雑すぎると怒らないで欲しい。

あのキャストのここの歌声が良かったとか、

どこのシーンのダンスにキレがあったとか表情が良かったとか、

まだ僕はそんな風に落ち着いて語れるほどの境地にいないのです。

 

僕は長年のアイドル好きですが、アイドルは歌が上手い子たちばかりではありません。

でも、アイドルはそれでいいのです。

アイドルは、歌声だけでない様々な個性のバランスで成り立つ魅力があるから良いのです。

時には歌声の未熟さすらも魅力に転じさせるのが、アイドルです。

 

そんなアイドル現場に親しんだ僕にとって、

今回のような本格的なミュージカルの観劇経験は凄まじい衝撃でした。

全員、上手い。歌声の圧力がすごすぎる。

こんなに上手い歌声を生で聴き続ける体験、したことない………

え、なんか、役名も出てこない女中Aみたいな人まで、すごくない……?

 

次から次へと圧倒的なパワーのこもった歌声を浴びる体験は、

なんと言うべきか、もはや暴力的だと思ったほど。

なるほど、これは休憩が必要になるわけですね……。

心臓への負荷がすごくないか……?  みんなよく無事だな……?

 

1幕を見終え、2幕を前にして気にかかったのは、大我のことでした。

冒頭、煉獄の裁判所のシーンでの登場はあるものの、基本的に1幕で大我はほぼ出演しません。

ルドルフが生まれ、成長した後の2幕が大我の出演シーンとなるわけですが、

こんな凄まじい出演陣の中で、大我、ルドルフを演じるのか。

しかも、後半には「トート」とのシーンもあるらしいじゃないかーー

 

1幕冒頭、煉獄の裁判所にて、観客は煉獄の裁判所を見つめる陪審員となります。

エリザベート皇后殺害の罪に問われたルキーニは、皇后本人が「死」を望んだという。

そしてその動機は「愛」であると。

皇后が愛したのは皇帝ではなく、黄泉の帝王たるトート。

トートへの「愛」が、自らを突き動かしたのだと。

 

普通の物語なら、愛は喜び、死は悲しみを伴うものです。

けれど本作はここに問いを投げかけるのです。

 

「もしもその死が甘く美しい姿をしていて、

   義務や苦しみ、権力からの解放を意味するとしたら?」

 

その問いをただ投げかけても、こう答える人は多いでしょう。

 

「どんなに現実が苦しくても、どんなに死が甘美なものでも、

   やっぱり死を喜ばしいものとして肯定するのは駄目でしょ」

 

それでも本作は観客を強く強く戸惑わせるこの問いを繰り返し迫ります。

その問いにおいて、観客を戸惑わせるのは、一体なんでしょうか。

ーー僕を、戸惑わせたのは、一体何だったでしょうか。

 

自由を奪われ、嘆くエリザベート

自由を奪い、冷酷な生き方を迫るゾフィー

真実から目を背けるフランツ?

真実なんて汚いものと歌うルキーニ?

 

いや、何よりも、トートでした。

トートの、甘く美しいその姿です。

 

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1幕を見終えたとき、

僕は古川トートの甘く美しい、力強い魔力にすっかり呑まれていました。

なんという破壊力。魔力。妖しさ、美しさ、狂おしさーー

 

観客の誰もが思ったに違いない。

このトートになら黄泉の国に誘われても着いてゆくーー

 

ルドルフ、君は2幕でこれほどまでに美しく恐ろしく人間離れしたトートと、

いったい何を見せてくれるというのか。

大我の力量が心配になったというわけではありません。

それは、困惑でした。2幕で僕は一体どんな大我ルドルフを目撃するのだろう、と。