飛び込むBlue

終わりはまだまだ遥か先の方だ

ファンタジーと時代小説は根底としてほとんど同じもの

アラブ風のファンタジーを書きたいと先日書いたのだけれど、同じように時代小説を書こうかなとプロットを構成している。

時代物とファンタジーじゃ全然違う、と思われるかもしれないんだけど、実を言うと僕の中では時代物とファンタジーはほとんど同じジャンルの作品だ。

どちらも「いま、ここではないどこか」を舞台にした物語であり、どちらも虚構だ。時代物の方によりリアリティは存在するが、それはただの濃淡に過ぎない。ちなみに時代小説と歴史小説は別のものだ。時代小説というのは、日本の古き時代を背景にしただけのもので、実際の史実を元に書く必要はない。

つまり、みをつくし料理帳とかは時代小説にあたる。小説ではないが、「鬼滅の刃」や「るろうに剣心」は同じジャンルの作品だ。こう話すとファンタジーと同ジャンルだというのは理解しやすいと思う。

僕が時代小説やファンタジーを書こうと思っているのは、虚構の世界観がもたらす楽しさも理由だが、それが現実のメタファーとして機能しうるからだ。

そのプロットにおいて、メタファーの対象とする現実を自分に近づけて考えたとき、題材となりうるのは時代小説のほうがより近いかもしれない。

また、現代のファンタジー作品の殆どは、アニメ・漫画・ゲーム的教養をベースに書かれることが多いけれど、僕にはゲーム的教養がほとんどない。歴史的教養もあるとは言えないが、ゲーム的教養に比べればまだマシだし、歴史的教養ならば体系的な学びで十分に得られる。

そして、それを書くならテーマはこれしかないと感じている。江戸歌舞伎だ。ということで、今は、江戸歌舞伎関連の参考書物をいろいろと読み漁っている。元々は絵島生島事件を生島新五郎側から描くことを考えていたけれど、生島新五郎を歌舞伎作者の目線から書いてみたらもっと良い気がする。