飛び込むBlue

ハロヲタ、30代男性、2019年、ジャニーズにハマる

SixTONESファン/ミュージカル初心者の初『エリザベート』〜第2幕〜

前回の続きです。

 

2幕。ルドルフとしての大我の歌声を聞いて、はっとしました。

 

別人のようだ。

僕がこれまで見ていたSixTONES京本大我では、ない。

発声も、表情も、発するオーラも何もかも違う。

そうか。これが大我が作った「皇太子ルドルフ」なんだ。

 

1幕の間、僕は本格的なミュージカルをはじめて目にして圧倒され続けていました。

それは未知の世界を体験する感覚でした。

まず発声が違う。

当たり前かもしれないが、響き方がまるで違う。

しかし、それに対しては「自分の知らない出演者の皆さん」のことだから、

「この舞台に出演できる人と言うのは、すごい人たちばかりなのだな」という

そういう感覚も強かったと思います。

 

ある意味で、その感覚はたぶん当たっていた。

けれどちゃんと気付いていなかった。

 

この舞台に出演できている京本大我も、すごい人なのだ。

 

この2幕で、僕の感情は右に左に揺さぶられました。

「ミュージカル エリザベート」という作品世界に。

そして、京本大我を含む、出演者陣のすばらしさに。

 

先に作品世界の話をしましょう。

この作品にはずっと通奏低音としてある問いが流れ続けています。

エリザベートの死の真相は? 動機は愛だったのか?」

これは最初のシーンで描かれた煉獄の裁判所から、ずっと観客が問われ続ける問いであり、僕もまたこのことに思いを巡らせながら観劇を続けました。

 

この問いは難しい。

本作はラブストーリーのようにも描かれている。中心を貫くのはエリザベートとトートの恋愛だ。

そして普通、ラブストーリーにおいて、愛はおよそ無条件に肯定されるものだ。

けれど、この作品は一味違います。

トートは黄泉の帝王であり、死を擬人化した存在として描かれます。

エリザベートは自由を希求する存在として描かれますが、ここでの自由とはあらゆる人や社会、様々な義務に縛られないことを指します。

そんな自由を志向するエリザベートの視点の先には、常に死があるのです。

生の世界に、自由はない。

観劇中、本作は極めてあやうい主張を試みているのでは、という疑念が何度も僕の頭をよぎりました。

その主張とは「自死の肯定」です。

 

僕はなにも「自死は悪だ」と断定的な考えは持っていません。

人には死ぬ自由があるとは思う。

ゆえに安楽死尊厳死をめぐる社会的な議論にも価値があると思う。

けれど、それはきわめて難しい問題のはずです。

僕は観客としてストーリーを追いながら考え続けました。

精神的自由を希求する皇妃エリザベートの愛のストーリーを持って、そんな難題に対して、この物語は何か答えを導けるというのか?

この物語は、いったいどんなメッセージを持っているというんだ?

それとも、やはり一般的な社会規範に従って、「死ぬなんてよくない、生きる歓びを愛せ」という「ごく普通の結論」に向かうのか?

しかし、であれば、このストーリーにおいて、愛は否定されるのだろうか?

 

けれど2幕中盤、観客は思い知らされるのです。

この物語は、どこまでも愛と死を同一視し、甘美なものとして描く。

その甘美さが極まり、美しくなればなるほど、観客は戸惑うのです。

 

 

その頂点こそ、皇太子ルドルフと黄泉の帝王トートの、死を導くキス。

そして「闇が広がる」。

皇太子ルドルフの周囲に闇が満ち、孤独な心を募らせてゆき、苦悩が彼を包む。

その闇の中だからこそ、死神の美しさ、甘美さが際立ちます。

 

トート「子どものころのあの約束は君が求めれば現れる」

ルドルフ「友だちを忘れはしない 僕は今不安で壊れそうだ」

トート「そばにいてやろう」

 

なんと甘やかなトート。なんと心にせまるルドルフ。

だが、二人が交わすのは死の接吻だ。

真面目なルドルフは、不安の中で壊れそうになり、死んでしまうのだ。

本来、このうえなく苦しく、悲しい、悲痛なストーリーのはずです。

それでも、物語はこの死に、この上なく美しいキスを重ねて描く。

広がる闇のなかで、ただひとすじのスポットライトが、

あまりに美しくそのキスを浮かび上がらせるのです。

 

僕はここで同時に、この物語が舞台作品であることの究極の意味を感じました。

「そうか、これは見るたびに違うんだ」

何度も何度もこの舞台に足を運ぶという方がいること、そもそもこの舞台が再演を繰り返されているということ、その意味を受け止めました。

ルドルフはトリプルキャストで、トートはダブルキャスト

回を変えれば、キャストも異なり、ルドルフとトートの表情は異なるのだ。

いや、たとえ、同じ組み合わせでも、回を重ねることにより、

その日にしか見られないルドルフとトートがそこにいるのだろう。

 

だから、僕が目撃した「愛と死の甘美さ」は、きっと回により異なる。

ある回ではルドルフが死を受け止める様子が安らぎのように見えるかもしれないし、ある回は極めて悲しく傷ついたルドルフが印象に残るのかもしれない。

 

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※残念ながら大我ルドルフでのこのシーンの写真はないので、こちらは木村ルドルフ版のそのシーン。

 

僕が見た回の古川トートはあまりに美しく、圧倒的で、すさまじい引力を感じました。

有無を言わさぬ説得力。引き込む力。

この上なく甘やかで、その視線でとらえたすべてを絶対に逃さない黄泉の帝王だった。

けれど、大我ルドルフもその引力に負けてはいませんでした。

その道しかないと覚悟を決めた切迫感、死という道に身を投じる覚悟、黄泉の帝王の前でも臆しない気高さ。

それはたぶん、間違いなく大我ルドルフだからこそ魅せられた迫力でした。

 

 

物語はルドルフの死を超え、ついにエリザベートの死へと向かいます。

僕はようやくこの物語の終わりに差し掛かり、この物語の巧妙な仕掛けに気付きました。いや、むしろ、最初からずっとそうだったのだ。

 

この物語の観客は、最初から最後まで、煉獄の裁判を見守る陪審員なのです。

だからこの物語は「答えを出さない」。答えを見出そうとするのは観客の役目なのだ。

エリザベートの死の真相は? 動機は愛だったのか?」

それにも決して物語自体は答えを出さない。

死とは、愛とは、肯定するべきものなのか?

それもすべて、キャストの表現するものを見つめながら、観客が考える事なのです。

今回のブログでは強く語らなかったけれど、例えばルイジ・ルキーニの存在をどうとらえるかによっても、この物語の見え方はまるで異なってきます。

 

なんて面白い。

そう、本作のすべてはキャストの表現に託されているのです。

繰り返しの再演に耐える作品の力とは、こういうことなのか。

 

物語の最後。

エリザベートの死にあたって「なんの具体的なメッセージも発されない」という、ある意味では、アクロバティックなラストを目の当たりにして、僕は心の底から拍手を打ちました。

ただ淡々と最後の死が描かれ、その死の真相をどう受け止めるかは、その日、素晴らしいキャストたちが演じた「エリザベートの生涯」を前に陪審員=観客が考える事なのです。

 

今回、僕はエリザベートを1回しか観劇できませんでした。

でも、もしかしたら、1回で良かったのかもしれない、とも思います。

「また見たい」。今のこの思いを大事にしたいと思います。

同じ作品を何度も見たいと思うものだろうか?

観劇前、どこかそういう風に思っていた部分が多少僕にはあったからです。

こんなにミュージカルって面白いのか!

 

本当に素晴らしいミュージカルは、再演の度に違う表情を見せるのでしょう。

1度きりの鑑賞でしたが、本作にもその予感を感じとる事ができました。

そして、このすさまじい表現の世界に身を投じた大我のことを、

改めて見直す機会になりました。

 

僕が知っていた京本大我では全然なかった。

僕は京本大我を全然わかっていなかったんだ。

こんな舞台に立つことができている、京本大我って、ものすごい人なのだ。

 

大我ルドルフは2015年、2016年に続き、今回が3回目だそうです。

連れて行って下さった同行者さまは、長年ミュージカルを何度も観劇されている、とてもミュージカルに詳しい方でした。SixTONESのファンであるよりも前に、ミュージカルファンとしての歴がとても長い方でした。

その方がこんな風におっしゃってました。

 

1年目の大我くんは、まだ子どものようだった。

2年目の大我くんは、すごく成長していた。

今回は、大我ルドルフの集大成ではないかと思います、と。

 

その大我ルドルフの集大成を間近で見る事ができて、本当に感激しました。

「いつか大我のトートを見てみたい」とも思いました。

僕の思い込みでしかありませんが、この願いはいつか叶うような気がしています。

 

このブログを書いている途中、5月に東京・日生劇場で上演されるミュージカル『ニュージーズ』への主演が決まったことを知りました。

しかも今回のエリザベートの演出を手掛けた、小池修一郎氏の演出であると。

楽しみで仕方がありません。

SixTONESファン/ミュージカル初心者の初『エリザベート』〜第1幕〜

前回の続き。エリザベートの感想ブログ、1幕終わりまでの感想を書いていきます。

 

ミュージカル「エリザベート」は途中25分の休憩を挟んで3時間越え、2幕構成の作品です。

1幕を終え、休憩時間となったとき、僕はあまりの出来事に呆然としていました。

 

僕は、凄まじいものを見たぞ。

出る人、出る人、みんな歌も踊りも凄まじく上手すぎる……

 

感想が雑すぎると怒らないで欲しい。

あのキャストのここの歌声が良かったとか、

どこのシーンのダンスにキレがあったとか表情が良かったとか、

まだ僕はそんな風に落ち着いて語れるほどの境地にいないのです。

 

僕は長年のアイドル好きですが、アイドルは歌が上手い子たちばかりではありません。

でも、アイドルはそれでいいのです。

アイドルは、歌声だけでない様々な個性のバランスで成り立つ魅力があるから良いのです。

時には歌声の未熟さすらも魅力に転じさせるのが、アイドルです。

 

そんなアイドル現場に親しんだ僕にとって、

今回のような本格的なミュージカルの観劇経験は凄まじい衝撃でした。

全員、上手い。歌声の圧力がすごすぎる。

こんなに上手い歌声を生で聴き続ける体験、したことない………

え、なんか、役名も出てこない女中Aみたいな人まで、すごくない……?

 

次から次へと圧倒的なパワーのこもった歌声を浴びる体験は、

なんと言うべきか、もはや暴力的だと思ったほど。

なるほど、これは休憩が必要になるわけですね……。

心臓への負荷がすごくないか……?  みんなよく無事だな……?

 

1幕を見終え、2幕を前にして気にかかったのは、大我のことでした。

冒頭、煉獄の裁判所のシーンでの登場はあるものの、基本的に1幕で大我はほぼ出演しません。

ルドルフが生まれ、成長した後の2幕が大我の出演シーンとなるわけですが、

こんな凄まじい出演陣の中で、大我、ルドルフを演じるのか。

しかも、後半には「トート」とのシーンもあるらしいじゃないかーー

 

1幕冒頭、煉獄の裁判所にて、観客は煉獄の裁判所を見つめる陪審員となります。

エリザベート皇后殺害の罪に問われたルキーニは、皇后本人が「死」を望んだという。

そしてその動機は「愛」であると。

皇后が愛したのは皇帝ではなく、黄泉の帝王たるトート。

トートへの「愛」が、自らを突き動かしたのだと。

 

普通の物語なら、愛は喜び、死は悲しみを伴うものです。

けれど本作はここに問いを投げかけるのです。

 

「もしもその死が甘く美しい姿をしていて、

   義務や苦しみ、権力からの解放を意味するとしたら?」

 

その問いをただ投げかけても、こう答える人は多いでしょう。

 

「どんなに現実が苦しくても、どんなに死が甘美なものでも、

   やっぱり死を喜ばしいものとして肯定するのは駄目でしょ」

 

それでも本作は観客を強く強く戸惑わせるこの問いを繰り返し迫ります。

その問いにおいて、観客を戸惑わせるのは、一体なんでしょうか。

ーー僕を、戸惑わせたのは、一体何だったでしょうか。

 

自由を奪われ、嘆くエリザベート

自由を奪い、冷酷な生き方を迫るゾフィー

真実から目を背けるフランツ?

真実なんて汚いものと歌うルキーニ?

 

いや、何よりも、トートでした。

トートの、甘く美しいその姿です。

 

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1幕を見終えたとき、

僕は古川トートの甘く美しい、力強い魔力にすっかり呑まれていました。

なんという破壊力。魔力。妖しさ、美しさ、狂おしさーー

 

観客の誰もが思ったに違いない。

このトートになら黄泉の国に誘われても着いてゆくーー

 

ルドルフ、君は2幕でこれほどまでに美しく恐ろしく人間離れしたトートと、

いったい何を見せてくれるというのか。

大我の力量が心配になったというわけではありません。

それは、困惑でした。2幕で僕は一体どんな大我ルドルフを目撃するのだろう、と。

SixTONESファン/ミュージカル初心者の初『エリザベート』〜観劇準備+開演前編〜

2019年6月7日から8月26日まで帝国劇場にて上演されている、

ミュージカル「エリザベート」を観劇してきました。

 

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自由を愛し、類なき美貌を誇ったハプスブルク帝国最後の皇后エリザベートと、彼女を愛した黄泉の帝王・“トート=死“。

トートはエリザベートが少女の頃から彼女の愛を求め続け、彼女もその愛を意識するようになる。しかし、その禁じられた愛を受け入れることは、自らの死を意味した。

滅亡の帳が降りる帝国と共に、エリザベートに運命の日が訪れるーー

 

僕が観た2019年7月9日13時の回のキャストはこの方々でした。

 

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エリザベートオーストリア皇后) 花總まり

トート(黄泉の帝王)古川雄大

ルイジ・ルキーニ(皇后暗殺者)山崎育三郎

フランツ・ヨーゼフ(オーストリア皇帝)平方元基

ゾフィー(皇太后剣幸

ルドルフ(オーストリア皇太子)京本大我

少年ルドルフ  大橋冬惟

 

これまでにミュージカルを観たことがないわけではないのですが、このような本格的なミュージカルを鑑賞するのは初めてでした。

正直に言うと、これまでこういう本格的なミュージカルに対しては、どことなく敷居の高さを感じていました。

けれど、今回お誘いくださった方が長年のミュージカルファンの方で、事前に観劇する際のアドバイスをいただけたので、とても良い観劇経験になりました。

 

観客の大半は女性の方で、中には作品の雰囲気に合った素敵なドレスを着た方もおられましたが、華美過ぎずラフすぎない、落ち着いたカジュアルな服装で来られている方がほとんどでした。ごくごく普段着で良いと思います。

もちろん、僕以外にも男性の方も何人もいらっしゃっていました。

ただ、女性の方が多いので、幕間の女性トイレはかなり混雑していました。

 

女性の方はお手洗いを観劇前になるべく済ませておいて、ドリンクの飲み過ぎにだけはご注意されたほうが良いと思います。

幕間のお手洗いは並んでも入れない可能性も高そうです。

ロビー内にはサンドウィッチなどの軽食やドリンクが売られていて、僕は無難なジンジャーエールを頼みましたが、オリジナルドリンクも複数用意されていて、どれも美味しそうでした。

フォロワーの方によれば「ウェディングベル」はベリー系のドリンクで美味しかったそうです。

僕はだいたい開場1時間前くらいに劇場に着きましたが、劇場内のポスターなどを観つつ、お手洗いを済ませ、ドリンクを楽しんでいたらちょうど良い時間でした。

 

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僕が鑑賞したのはS席1階のN列です。

 

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観劇前に双眼鏡は必須だと教えていただいていました。

ビクセンの双眼鏡がオススメと教えていただいたので事前に買って行きました。

帝国劇場近くのビックカメラで購入しましたが、座席にあった倍率が分かる表があったのと、複数の双眼鏡を試し比べすることができたので、ぴったりの物を選ぶことができました。

 

ちなみに、ビクセンのat6 M6×18を買ったのですが、適度な倍率でキャストの方をアップで見ることができて、本当に良かったです。

観る前は「S席って良い席じゃん…舞台全体を観るなら、もしかしたら双眼鏡っていらないんじゃないか……?」と一瞬疑問に思ったのですが、観たら分かりました。

双眼鏡、絶対持参したほうがいいですね、必須です。

たしかに舞台全体を観るときには双眼鏡は使いませんでしたが、全体を観たりアップで観たり、要所要所で切り替えながら鑑賞するんですね。

 

ストーリーについてはほとんど知らない状態で臨みましたが、問題なく楽しむことができました。

一応事前に文庫版の「エリザベートー愛と死の輪舞ー」を購入しておいたんですが、

実際には文庫版を読まない状態で、鑑賞しました。

まっさらな状態で観ることができたので、それで正解でした。

 

予備知識があると良いのではないか?

僕も観に行く前はそんな風に考えてもいたんですが、

予備知識がなくても十二分に楽しめるように作られています。

宝塚版の同名公演をノベライズした文庫版は、

今回の東宝版でも演出を手がけている小池修一郎氏ご本人により書かれていますが、

あとがきでこのようにおっしゃっています。

 

中央ヨーロッパ」という名称に耳慣れず、エリザベートとその時代、ハプスブルク家の栄枯盛衰、そしてその支配下にあった様々な民族等々に、浅い知識しか持ち合わせていないーー宝塚版「エリザベート」は予備知識が皆無な人でも楽しめるものでなくてはならない。

 

そうした歴史的事情への理解は、

確かに本作をより深く知る助けにはなるだろうと思うのですが、

そういうことは、まっさらな状態でまず鑑賞した後でも良さそうです。

 

それどころか僕は、京本大我以外の全キャストについて、

全く何も知らない状態で、今回エリザベートを観てきました。

ですが、観劇直後は出演されたキャストの方々への尊敬の念で心がいっぱいになりました

 

今回、ちょうど学生さん方が団体で鑑賞に来られる日だったようです。

こんな贅沢な観劇経験を若いうちから得られるなんて羨ましいな、という思いの一方、

僕は今三十二歳ですが、この歳から未体験の世界を楽しむことができた、

それもまた幸せだなと思いました。

 

本編の感想については、続きの記事で書きたいと思います。

SixTONESが放つ六色の個性の光、プロの仕事のパフォーマンス。

アイドルには「部活型」と「生き様型」と「仕事型」の3種類があるんじゃないか。

たった今思いついた分類ですが、あながち間違っていない気がします。

 

部活型は例えばAKB48に多くて、人生の一瞬、特に青春の時代を、

アイドルという活動に捧げるタイプです。

このタイプのアイドルは年齢によってアイドルを辞め、

辞めた後はそれぞれのセカンドキャリアを歩みます。

限られた時間で咲くからこそ美しいという評価もあるだろうと思います。

 

生き様型は地下アイドルなどに多く、最も自由で、時代の要請などには強く囚われず、

個性豊かに好きなようにアイドルとして振る舞います。

ただし職業としての継続が難しい場合も多く、兼業で生計を立てる場合もあります。

もっと分かりやすく趣味型と呼んでもいいかもしれませんが、

一定のリスペクトを込めて生き様型と名付けました。

 

仕事型は世間のニーズ、時代の要請、運営の計画に従って、

プロフェッショナルな職業としてアイドルをこなします。

年齢によって辞めることはありませんが、職業としての継続が難しくなった場合や、

経験を生かして異なるキャリアに進みたくなった場合などには、

それぞれ新たなキャリアにステップすることもあります。

生涯をこの仕事に捧げる場合も、あります。

 

仕事型というネーミングゆえにニュアンスが伝わりづらいかもしれませんが、

僕が特に魅力的だと思うのは、仕事型のアイドルです。

そしてSixTONESもまた、仕事型のアイドルだと思っています。

 

さて今回も、ブログを書くにあたって、Twitterでお題を募集しました。

「かや」さんからいただいたお題は「各々のパフォーマンスの色」。

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パフォーマンスという言葉は仕事でもよく使う言葉だな、と思ったので、

そんな「仕事」と取り合わせた切り口で話してみることにしました。

 

以前「サンデー毎日」さんが彼らの仕事観を取材していたのを印象深く覚えています。

そこには彼らの仕事に向き合う職業人としての個性が浮き出ているように感じました。

 

そして僕は、そんな職業人としての個性が、

パフォーマンスにおいても、彼らの色となって輝いていると感じるのです。

 

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ジェシーのパフォーマンスは情熱的で堂々としています。

肩の力を抜き、自分の声に自信を持って情感たっぷりに歌いあげる姿はいつ見ても見事です。

人は期待をするからこそ未来を恐れてしまいがちだけど、

ジェシーには予期せぬ出来事も運命として受け止める強さがあるように感じます。

大阪公演でマイクを持たずに出てきてしまったときも、

ジェシーはそんな焦りを微塵も感じさせませんでした。

彼は、奇跡の運命を引き寄せるSixTONESの象徴だと思います。

 

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大我のパフォーマンスには刹那的な美しさを感じます。

自分自身にも偉大な父の肩書にも負けまいとする強い克己心と、

常に魂を削って今しかできない表現を繰り出そうとする貪欲さ。

同じ演目を幾度と繰り返すミュージカルは彼にふさわしい芸術だと思います。

常に、毎回、最新の自分の表現に、挑戦しているのです。

ハラハラ舞い散る桜のように、今その瞬間にしかできないパフォーマンスに、

彼は挑み続けているのだと思います。

 

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北斗のパフォーマンスには独創性と意欲を感じます。

ありのままの自分を見せるのではなく、

魅せたい自分を演じようとする野心がそこにはあるように思います。

観客の期待に応えるよりも、むしろ期待を裏切って魅せる。

単独公演のソロ「みはり」でも、ファンを驚かせました。

彼は意欲的に新たな表現を常に取り入れようとするチャレンジャーです。

 

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慎太郎のパフォーマンスはパワフル。そして鮮やかな明るさがあります。

彼の情熱は伝染するので、周囲のメンバーをも輝かせることができます。

ポジティブな躍動感と、人生全てを祝福するような力強い暖かさ。

英語の楽曲でも、どんな歌詞でも、なんだか彼が歌うと、

明るい未来を歌っているかのように聞こえるような気がします。

 

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髙地のパフォーマンスには、ハートを揺さぶるときめきがあります。

キラキラとした可愛らしさと、ギラギラした格好良さの二面性がありますが、

真剣な顔も、笑顔も、実はどちらも彼の真剣な表情ーー。

その笑顔からは彼がアイドルという道を選んでくれた決断の尊さを感じます。

彼が笑顔で歌ってくれることに、何故こんなにもハートを揺さぶられるのか。

単に可愛いだけでない、かけがえのない尊さがそこにあるからだと思います。

 

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樹のパフォーマンスには、愛があります。

この愛とは、軽薄で浮ついたふわふわした気持ちのことではありません。

それは真剣で、まっすぐで、深く、この道を貫こうという固い決意です。

これが自分のなすべき仕事だと、樹は知っているのだと思います。

その確信を愛と呼ばずになんと呼べるでしょうか。

ブルーに染まった横浜アリーナ、高速で繰り出されるヒップホップのライム。

思い返すたび何度でも撃ち抜かれてしまう自分がいます。

 

僕はこんな彼らのそれぞれの個性が、

全てプロフェッショナルな職業人の個性であると感じています。

だからこそ、社会人になって人生をかえりみることもあるこの歳になって、

ようやくSixTONESの良さに気づくことができたのかもしれないな、とも思います。

きょもじゅりに、終わることない夢を見たい。

ハロプロのヲタクを長年やっている方なら、

必ず一度は聞いたことがある言葉--「亡霊」。

 

卒業や加入が繰り返されるハロプロの現場では、

ある日突然、「夢の終わり」を宣告される時があります。

2014年4月29日。僕は山口県周南市文化会館で、道重さゆみさんの卒業発表を聞きました。

彼女の卒業は前向きに受け止めることができたし、

彼女の再生を信じていたし、再生後の彼女も大好きですが、

その一方で、 僕は今でも自分がモーニング娘。‘14の亡霊だと感じる時があります。

 

今のモーニング娘。が常に最高だと教えてくれたのは、

他ならぬ道重さゆみさんだったし、今もその言葉は信じています。

ただ、センター鞘師とリーダー道重がいたモーニング娘。‘14が作る未来は

もうこの世界にはないんだと、そう思うと少し切なくなる自分もいるのです。

 

さて今回、ブログを書くにあたって、Twitterでお題を募集しました。

いただいたお題は「きょもじゅり」。京本大我と田中樹のコンビです。

 

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お題を下さった「さくら」さんは、ハロプロもお好きなようでしたので、

こんな切り口で話をすることにしました。

 

僕は「きょもじゅり」にどこか「さゆさや」に似たものを感じるのです。

「さゆさや」とは、元モーニング娘。道重さゆみ鞘師里保のコンビのことです。

 

りほりほを過剰に愛おしむさゆちゃん、

きょもをデロデロに甘やかす樹。

センターを張るりほりほ/きょもに対して、

グループをまとめる立場のさゆちゃん/樹。

自分が一番可愛い/カッコイイと自認するさゆちゃん/樹に対して、

無自覚すぎる天然の可愛さで魅了するりほりほ/きょも。

本当に甘えたがりなのは実はさゆちゃん/樹だったりするし、

誰にも甘えず自分の道を見つけるりほりほ/きょもだったりする。

 

どちらも見ていて愛おしくてたまりません。

けれど、さゆさやは今それぞれ違う道を歩んでいます。

 

そんな’14の亡霊であり、さゆさやの亡霊であった僕にとって、

きょもじゅりの未来が見れることは本当に楽しみでしかありません。

 

もちろん、それぞれ似て非なる存在です。

 

さらに年月を重ねれば、きっときょもじゅりは、

また全然違った一面を、さゆさやにはなかった未来を、

見せてくれるようになるのだろうと思います。

 

ジャニーズを好きになって良かったなと思うことのひとつが、

ハロプロと比べて「夢の寿命」が長いようだ、ということです。

20年を走り抜いた嵐や、知命を超えた少年隊などの例を出すまでもなく、

ジャニーズは他のアイドルと比べるとダントツに夢の寿命が長い。

亡霊に、ならなくて、済む--

 

だからこそ、きょもじゅりがこれから何年、何十年と

未来を見せてくれるだろうーーそのことが楽しみで仕方がありません。

これから僕は何度きょもじゅりが歌うtearsを聞けるのだろう。

できるならば、終わることない夢を見たい。

 

年月を重ねることで、

またきっと違う表情のtearsを聞けるのだろう。

この2人にはそんな未来への未知なる期待を感じています。

【モンストCM感想】こんなに眩しいCM、他にない。こいつら、間違いない。 #SixTONES #モンスト xfl.ag/329hbnX

SixTONESが起用された『モンスターストライク』のCMがYouTubeで公開されました。

7月8日からTVでも「こいつらまちがいない」篇が1週間限定でオンエアされるそうです。

 

 

 SixTONESがモンストのCMに出演すると聞いてから、2ヶ月……!

ファンとしてはいつになるんだと待ち遠しい思いでいっぱいでしたが!

ようやく公開されたCMを観て、感無量です……!

そして……CM、すごくいい!  あまりの眩しさに泣きそうになりました。

 

スマホゲームって、あまりいい印象を持ってない大人も多いと思うんですよね。

例えば中高生のお子さんを持つ親御さんたちだと、

子どもたちがスマホゲームで遊ぶことに眉をひそめる方もいらっしゃるはず。

 

でも、少し形が変わっただけで、

実は子どもたち、若者たちがやってることって、

本質はあまり変わってないんじゃないかと思います。

 

僕が中学生のころには、友だちの家に行ってドラクエで遊んでました。

親にはテレビゲームばっかりするなよって怒られたけど、

そんな親たちも遊んでばっかいないで勉強しなさいって言われた過去があるはず。

もちろん勉強も大事だけど、子どもたちにとっては、

友だちと遊ぶことはそのときにしかない大事な青春でもあるんです。

友だちの家でドラクエに熱中したことは間違いなく僕にとって青春でした。

 

それはテレビゲームがスマホゲームに変わっても、変わらない。

スマホゲームに今の子どもたちが青春を感じているなんて、

大人にはなかなか想像しにくいことだけど、

このSixTONESのモンストCMを見れば、

スマホゲームにも青春があるんだって思えるような気がします。

 

「友だちと一緒に遊ぶことを楽しんでる」だけなんですよね。

 

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察しがいいこと、

常識があること、

意義があること、

愛想がいいこと、

落ち着きがあること、

ーー使えること。

 

社会人として、大人として、ビジネス上での関係を築くなら、

これらは大事なことですが、

青春を送る世代にとって、友情を育むにおいては、

どれも必要ないことなんですよね。

 

察しなんてよくなくていい、

常識なんて破ったっていい、

くだらなくたっていい、

愛想なんてよくなくても良い、

落ち着きなんて必要ない、

友だちなんだから、「使えるか」なんかどうでもいい。

友だちなんだから。

 

SixTONESのメンバーは20代半ばだけど、

このCMの青春を駆け抜ける学生たちーー少年たちとして、

彼ら6人は最高のキャスティングだと思います。

こいつら、間違いない。

 

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【ドラマレビュー】間違うことでたどり着ける場所がある。「パーフェクト・ワールド」を観た松村北斗ファンの感想。

ドラマ「パーフェクト・ワールド」を、最終回まで鑑賞しました。

 

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ブログ読者にはご察知の通り、渡辺晴人役で出演した松村北斗が目当てです。

 

僕は、かつてドラマの脚本家になりたいと思い、

大学時代には映画研究会で脚本を書いて映画を撮ったこともあるドラマ好きでした。

ただ、最近ではすっかりそんな気持ちも忘れ、

ワンクールにドラマを1本観るか観ないかという程度。

 

パーフェクト・ワールドは障害者と健常者の恋愛を題材にした作品です。

障害者のお涙頂戴をやるのか?  美男美女の浅い恋愛ドラマか?

数年前までの自分なら、こんなひねくれた考えで観なかったでしょう。

けれど、このドラマは最後まで観ると最初から決めていました。

 

何故なら、SixTONES松村北斗が出ているドラマだから。

きっと自分にとっていい刺激になる素晴らしい作品になるに違いない。

そう思いました。

 

好きなアイドルが出るから……たいした理屈もない思い込みです。

でも、人生には、こんな理屈抜きの確信も時々あります。

 

ただ、観るドラマのチョイスくらいならともかく、

人生をともにするパートナーのチョイスとなると、

人はその思い込みを簡単には信じ抜くことができません。

理屈をこねるのも当たり前です。

 

そんな中、このドラマへの僕の確信は当たっていました。

本当に良いドラマでした。

 

この作品は、人生を共に歩むパートナーを選ぶなかで、

間違った理屈をこねつづけてしまう」人物たちを描きます。

 

作品を見終えた今、この作品は非常に同時代的な作品だったのだなと感じます。

 

僕が思い出すのは、2017年に注目を集めたゼクシィのキャッチコピーです。

結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです。

 

未婚率・離婚率の上昇やLGBTの顕在化、多様な家族のあり方が議論され、

結婚やパートナーシップを取り巻く社会状況が複雑化している中で、

現代の人々は今、恋愛を超えた「パートナーシップ」に強い関心を持っています。

同時期に放映された「きのう何食べた?」や「わたし、定時に帰ります」も、

パートナーシップへの社会の関心が反映されたような作品でした。

 

そんな中、パーフェクトワールドという作品は、

そんなパートナーシップへの悩みがつきない現代の僕たちに、

間違うことで辿り着ける場所がある」ということを教えてくれる作品でした。

 

本作の登場人物たちは、誰もが間違いを犯します。

 

相手が自分を想っていないと、心のどこかで分かっているのに。

自分が相手を想っていないと、心のどこかで分かっているのに。

障害を理由にした自暴自棄だと、心のどこかで分かっているのに。

障害を理由にした差別偏見だと、心のどこかで分かっているのに。

 

間違えてしまう。

何度も、何回も。

 

とりわけ、最終回の直前まで何度も何度も間違い続けてしまうヒロイン。

山本美月が演じる本作の主人公・川奈つぐみはその象徴でした。

 

視聴者の中には、このドラマに苛立ちを感じた人も多いだろうと思います。

間違いを繰り返して周囲を傷つける登場人物は、

もちろん見ていて気持ちが良いものではないからです。

川奈つぐみを好きになれない視聴者は、結構いたんじゃないでしょうか。

 

けれど、本作のメッセージは、実はその部分の苛立ちにこそありました。

間違って、周囲を巻き込んで、傷つけて、泣いて、苛立たせて……

でも、そういう間違った道を通らないと正解にたどり着けない愚かさを、

たぶん僕たちは誰しもが抱えているのだろうと思うのです。

 

このドラマは、原作である漫画「パーフェクトワールド」とは大きく異なります。

僕は原作も既刊すべて読んでいますが、かなり見事で大胆な改変が加えられています。

とりわけ素晴らしかった改変は、やはり松村北斗演じる渡辺晴人の設定だったと思います。

 

原作では高校生。ドラマ版では建築事務所で働く樹の後輩。

晴人は見事に大きく異なる設定で描かれました。

間違い続けるつぐみと樹に対して、

このドラマで最も早く間違いに気づけたのが、渡辺晴人でした。

 

晴人も障害を持っていることに対して自暴自棄になったり、

義足を隠して無理して明るく振る舞ったりするエピソードが描かれます。

しかし、そんな間違いを犯しながらも、

つぐみと樹のエピソードの陰に隠れて、

しおりという運命の相手と幸せに向かうプロセスを育んでいきます。

 

つぐみや樹のエピソードが間違いだらけでハラハラするものだっただけに、

ドラマの中で晴人としおりに癒された視聴者も多かっただろうと思います。

制作サイドもたぶんそれを分かっていたんでしょう。

「はるしお」「ほっキュン」などのハッシュタグを発信していました。

 

けれど、本当は、どうでしょう?

「はるしお」はそんな苦しい間違いを通らずに、本当に一気に仲良くなれたんでしょうか?

家でゲームしてアメちゃんをもらうまで、晴人は、しおりは、

樹のように、つぐみのように、悩まなかったでしょうか?

たぶん、違うはずです。

ドラマでは描かれなかった2人だけの葛藤も、たぶん、きっとあったんです。

間違わなければたどり着けない場所に、たぶんこの2人も、たどり着いたんでしょう。

 

本当のことはきっと2人しか知りません。

脚本家さんによれば、はるしおはハッピーエンドになるんだそうで。

その道のりがどれだけデコボコしているかは明かされません。

でも、それでよいんだと思います。

2人とも、一見お調子者で、笑顔で、強く生きてるように見えて。

義足を外せるのは、しおりの前だけ。

 

それってまるで、アイドルのようだ。

 

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ファンの贔屓目があることは承知の上で、

渡辺晴人は、アイドル・松村北斗でなければならない役だったのだなと思いました。

2ヶ月間、ドラマ楽しませていただきました。

次は森本慎太郎が出演する「監察医朝顔」を楽しみにしています。