飛び込むBlue

ハロヲタ、30代男性、2019年、ジャニーズにハマる

【ネタバレ注意】「少年たち」はトンチキ映画? 僕は正真正銘の「アイドル映画」だと思う。

昨日、友人と一緒に、映画「少年たち」を見てきました。

 

事情を抱えて少年刑務所に収監された少年たちを主人公にしたミュージカル・エンターテインメント。

刑務所内にはいくつかの房があり、赤房と青房の少年たちは互いをライバル視して喧嘩を繰り返し、黒房の少年たちは少し離れた場所からそれを見ている。

赤房の少年たちを演じるのはSixTONESのメンバー。

青房の少年たちを演じるのはSnow Manのメンバー。

そして黒房の少年たちを演じるのが関西ジャニーズJr.のメンバー。

 

本作は1969年の初演以来、50年もの間、幾度も上演が重ねられてきた舞台「少年たち」の初映画化であり、製作総指揮はジャニー喜多川氏が手掛けました。

 

「脚本は破綻しているが、出演者はすばらしい」

「ストーリーはトンチキでツッコミどころ満載だが、圧巻のダンスシーン」

「内容は意味不明でクソダサだが、むちゃくちゃ歌も良くて面白かった」

「演出も展開も稚拙だが、メンバーがみんなかっこよかった」

 

鑑賞前に聞いていた前評判は、こんな感じでした。

映画は楽しみでしたが、「ちゃんと楽しめるだろうか」と心配でもありました。

SixTONESのファンとして、主演映画が楽しめなかったら、本当に悲しい。

でも、感性にだけは、嘘をつくことが出来ません。

もしも、「つまらなかったら」。

もしも、くだらない「アイドル映画」だったらどうしよう。

 

けれど、そんな心配は杞憂に終わりました。本当にいい映画でした。

この作品は、間違いなく「アイドル映画」です。

けれど、ただの「アイドル映画」じゃない。

脚本も破綻していないし、ストーリーもトンチキじゃない。

 

一見しただけでは「意味不明」かもしれないけれど。

トンチキ映画の皮をかぶった、正真正銘の「アイドル映画」だ。

 

初演から50年、どうして繰り返し「少年たち」は上演されてきたのか。

それは、「少年たち」という作品が、

共に50年以上の歴史を歩んだ「ジャニーズ」そのものを受け止める、

それだけの強度がある構造を持っているからに他なりません。

 

確かに、この映画のストーリーは、一見おかしい。

収監された少年たちの心情はつまびらかに描かれておらず、展開も不思議です。

何の脈絡もなく「仲間だろ」と友情が芽生えるプロセスは、物語作品としてありえない構造ですし、喧嘩も仲直りも実に唐突に描かれる。

看守長による暴力の支配に対し、軽率な脱走を企てる少年たちも浅はかに見える。

脱走計画の失敗による軽率な死も、看守長親子の謎の回想シーンも、

出所した少年たちが大人になり、刑務所だった場所でショーが行われるのも、

すべてストーリーとしての必然性にかけるように一見思われます。

 

しかし、「刑務所=ジャニーズJr.」というメタファー(隠喩)の視点を入れると、

この作品は途端に見通しが良くなるのです。

 

ジャニーズJr.の世界は極めて閉鎖的であり、常に偏見の目にさらされてきました。

顔がいいだけの、未熟で、低レベルな少年たち。

世間の一部から、そんな軽んじられる目線を注がれている存在だということは、

残念ながら、否定できないと思います。

特にこれまでのJr.はテレビなどによる世間への露出も少なかったために、

ファンとなって現場に足を運ばなければ、彼らを知ることは出来なかった。

 

 

物語は、そんな偏見の目にさらされる少年たち=受刑者のいる場所に

「カメラが入って行く」ところから始まるのです。

本来、決して見る事の出来ないその世界へカメラが入って行く。

 

ワンカメラワンカットによる8分間の圧巻のダンスシーン。

大画面の迫力を生かした迫力のあるエンターテインメント。

おりしも、僕にとってそこで披露された二曲、

「JAPONICA STYLE」と「Ⅵ guys Snow Man」は

ジャニーズJrチャンネルの映像で彼らの世界を知るようになって、

その魅力に気付いたきっかけ、はじまりの曲でもありました。

圧倒的な華やかさ、迫力、パフォーマンスの説得力にあらためて度肝を抜かれました。

 

続いて、新入りとして京本大我が赤房(SixTONES)に受け入れられるシーン。

このシーンに対して

「信頼関係が生まれるプロセスも描写もない」という批判を見ました。

けど、そんなプロセスなど描かれないことが、この映画では正解なんです。

 

ジャニーズに限らず、多くのアイドルがそうであるように、

彼らは彼らの意思で仲間を選ぶのではありません。

「Youたち、今日から嵐だから」と言われて嵐が嵐になったように、

彼らも同じグループに分けられて、

一緒に踊り、一緒に歌い、一緒にご飯を食べて、

そうやって仲間意識が芽生えていくものだからです。

 

新入りの役として京本大我が選ばれたのも示唆的です。

2015年「ジャニーズ銀座2015」で、

舞台「エリザベート」の日程が重なった大我は出演が発表されていませんでした。

しかし、ここに飛び入りで大我が参加し、

公演二日目の5月1日、SixTONESの結成が発表されました。

分かりますか?

 

ジェシーが「仲間だろ」というシーン。

 

あれは「京本大我が入って6人となり、SixTONESが完成した」シーンなのです。

だから、心を通わせるための友情をはぐくむプロセスを描く必要はない。

むしろこんなにエモーショナルなシーンがあるでしょうか?

ジェシーと大我がシンメとして強い絆に結ばれた象徴的なシーンです。

 

さらにその後も、単純にストーリーを追ってしまうと、

「大した意味もなく赤房と青房が喧嘩する理由が謎」という気分になりますが、

冒頭の「ダンスバトル」ともいうべき演出からも、

喧嘩のシーンは暴力的な争いそのものを描いているのではなく、

「これまでSixTONESSnowManがパフォーマンスを競い合ってきたこと」

そのものの隠喩だとわかります。

※黒房が「遠くから見ている」立ち位置なのも、

関西との距離感を彷彿とさせるのがいいですね

 

ここまで言えば、およそこの映画のストーリーの楽しみ方がわかると思います。

 

例えば、ジュンとダイケンのシーンなんかも、

そのまま「きょもほく」を考えながら観ればいいんです。

絵がうまい大我、そんなとこから会話をはじめるきょもほく。

北斗は「素直になれない」キャラクターとして描かれているので、

なんとも言えない距離感の詰め方がいいですよね。

本来の二人の人間関係とは違うところがまた面白いです。

 

「きょもゆご」もいい。ジュンに初っ端からめちゃめちゃ笑顔で話しかけるエガオ。

「クソ坊ちゃん」なんて言いそうにない表面的なふるまいが面白い。

エガオのキャラの二面性も、ハマの番長かつアイドルな髙地らしい。

 

メンバーの事が大好きな慎太郎も、言葉を駆使して仲間の為に動く樹も、

それぞれ、やはりSixTONESそのものを隠喩しているんだと感じました。

 

では、「塀の外の人たちとの関係」とはどんな隠喩なのか?

僕は「ファンとの関係」ではないかと思っています。

ジェシー家族、大我は友人、ふっかは恋人との別離を経験し、

それぞれのショートストーリーが描かれますが、

これを真剣にストーリーとして追って映画を見てしまうと、

何を描きたいのか、分からなくなるという意見もわかります。

けれど「塀の外との人たちとの関係」を「ファンとの関係」として、

それぞれ家族/友人/恋人に重ねて描いているのだととらえると理解できます。

家族は「居て当たり前のように思い、失えばあまりに辛く」、

友人は「信じていたいけれど、時に信じられなくもなり」、

恋人は「幸せにしたい、だれにも代えがたい大切な存在」。

それを刑務所へ会いにくる面会者=ファンになぞらえている。

 

そんなファンの皆に会いたい。塀の向こうの世界に。

脱走を企てて協力し合って協力しあう少年たち。

僕はそのまま「デビューを目指す少年たち」だと解釈しました。

 

大我が亡くなってしまうシーンは最も解釈が難しい部分ですが、

ヒントはこの映画の主題歌の歌詞に隠されているのではないかと思います。

 

愛はいつもOne Way Street 止められない思い

描いた夢はEndless Way 行きつく場所はDanger Zone

時のはざまでもがき続ける fire storm fire storm

戻れない道を行く今 ここはDead-end Zone

 

「ここはDead-end Zone」は大我の歌割です。

夢を追うその先が危険な場所でも、命を懸けて戻れない道を行くんだ。

「少年たち」のそういう夢への覚悟が歌われているんです。

 

さて、彼らの出所後、少年たちのショーが行われている元刑務所。

閉鎖的な空間から、人々に見てもらえる開放的で華やかな空間へ。

これは、「一部の人にしか知られていなかったジャニーズJr.が

多くの人に華やかなショーを見せる場所へ」という、

次世代への変化をほうふつとさせるシーンだと解釈しました。

 

この映画そのものがまさにそうです。

舞台として一部のファンにしかみることのできなかった「少年たち」が、

映像を通して全国で見る事ができるようになった。

 

これまで幾度も上演が重ねられた「少年たち」ですが、

この「刑務所が違う場所に生まれ変わる」という描写は、

従来の「少年たち」にはなかった描写だそうです。

まさにジャニーズJr.が新しく生まれ変わろうとしている今だからこそ、

この「刑務所が生まれ変わる」描写が意味を持つんです。

 

そう考えると、老いた看守長の横山くんが、

息子役の川崎くんと登場する意味も分かってきます。

そう、これすなわち「ジャニーさんとタッキー」そのものなんですよね。

 

この映画は何を描きたかったのか?

ジャニーさんは何を描きたかったのか?

友情なのか、青春なのか、抑圧との戦いなのか。

どれも違う。

僕は、ジャニーさんが「少年たち」そのものを主題にしているのだと思います。

 

ジャニーさんは、ジャニーズの方針として、

アイドルに求めるものとして次のような発言をしています。

夢をもった素朴な少年であればいいんだ。

 

僕にはこれがこの映画で描きたかった最大の答えであるように思います。

ジャニー喜多川が描きたいものは、たぶん50年間ずっと変わっていなかった。

彼の見せたい「夢を持った少年たち」そのものが主題なんだ。

 

自分自身を振り返ってみると良く分かります。

僕はまごうことなき「少年ではなくなってしまった」人間です。

少年のような夢はなく、社会の清濁をあわせのみ、

毎日会社に通い、かわり映えのない日常を過ごしていますが、

そんな中、アイドルに夢を見せてもらいながらそれを楽しみに生きています。

 

ジャニーズアイドルは、「永遠に命を懸けて夢を追う少年」であるのだと思います。

赤房、青房、黒房の全員が出所して大人になったようなシーンが描かれますが、

どうやら離れ離れにはなっていない。彼らは少年の心を忘れていない。

「場所が変わっても、少年のまま成長できる」。

それは、僕のような普通の社会人にはできない、アイドルだけの特権なんです。

 

だから、この髙地のセリフなんです。

「俺たちがいた場所だ…」

※予告映像に入っているセリフなのでぜひもう一度聞いてほしい

 

少年のまま成長し、その場所を巣立っていく。

SixTONESSnowMan、関西ジャニーズJrそれぞれが、

今、新しい挑戦をはじめています。

 

「少年たち」は少年のまま夢をもって新たなステージに向かう。

その姿こそ、ジャニーさんが愛したアイドルそのものなんだ。大人には絶対に取り戻せない少年の輝きが、アイドルにだけは存在する。

それが、この映画のメッセージだと僕は解釈しました。

 

もう一度見たいし、見に行くつもりです。

そして「映画、良く分からなかった」と感じた方にも、

僕のこんな解釈を聞いてみて「もう一度見てみよう」と思ってもらえたら嬉しいです。