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終わりはまだまだ遥か先の方だ

【ドラマレビュー】「監察医 朝顔」を見て感じた、人が人を弔うということ

ドラマ「監察医 朝顔」が最終話を迎えました。

 

視聴のきっかけはSixTONES森本慎太郎くんが出演していたことでした。しかし彼は物語の本筋とはほとんど交わらない役どころでしたね。ファンとして、序盤のうちは少し残念に思ったりすることもありました。

けれど、物語をつつむシリアスな空気の中に、ときおり彼が顔をのぞかせることで、明るさがともるというか、ああそうだ、別に暗い顔をしてドラマを見つめていることはないんだと、そう思い直させる効果も彼にはあったのではないかと感じました。

ファンとしては拍手を送りたいです。慎太郎、撮影お疲れ様でした。

 

昨日、大雨の影響で我が家は停電しました。数時間の短い停電だったけれども、やはり不安にもなり、懐中電灯を持ち出し、冷蔵庫の中身を心配したり、復旧した後もしばらくはニュースから目を離すことはできませんでした。

台風15号の影響で、いまも千葉では断水や停電に困っている住民の方々がいらっしゃる。たった数時間の停電でも不安な思いをしたのに、これほど長く生活に不便をしいられている現状はいかに辛いことだろう、と感じました。

 

我が国は諸外国と比べても自然災害の多い国です。台風、大雨、大雪、洪水、土砂災害、地震津波、噴火など、多くの自然災害リスクを抱えています。

特にここ数年は各地で自然災害が発生し、「災害大国日本」に住んでいる現実を改めて思い知るような出来事が続きました。

 

「監察医 朝顔」は、漫画原作のドラマでしたが、主人公たちの名前のほか、大きな設定の変更がありました。

原作では、1995年1月17日の阪神淡路大震災朝顔が母を亡くした設定でしたが、ドラマでは、2011年3月11日の東日本大震災上野樹里演じる朝顔が母を津波による行方不明で失ったという設定になっていました。

遺体すら見つかっていない、そのような状況で「母の喪失」とどのように向き合うのか。

ドラマは、多くの死者や遺族と向き合う法医の現場を描きながら、災害でひとりの母を失ったひとつの家族の生活が続いてゆくさまを描きました。

 

豪雨と不法投棄が引き起こした土砂災害で多くの人命が失われた最終話。

その最終話を見終えたとき、僕が強く感じたのは「感謝」でした。多くの悲しみ、痛ましい姿を見なければならない、法医たち。辛いことの多いお仕事だろうと思います。

中尾明慶志田未来が演じる法医学教室の二人がぼろぼろと涙をこぼしながら多くのご遺体を確認するシーン。僕も涙が止まりませんでした。

法医だけではなく、警察や消防や救急――災害や死にかかわって仕事をして下さる人たちがいる、それって決して当たり前のことではないんだな、と感じました。

でも、それを当たり前の仕事としてやってくださる人たちがいるから、僕たちはこの災害国家の中でも、当たり前の生活と日常を送れているんだろうなぁと。

 

僕たちは生きる上でいろんな「生き方」を選んで生きていくことができます。

ただ、死だけはそんな選択の余地などなく、ほとんどは強制的に、そして急にやってきます。自殺や安楽死尊厳死を除いては、人は「死に方」を選ぶことができません。

もちろん「失い方」だって選べない。わかっていてもそんな風には思えないけれど、ある日突然大切な人や家族を失う――それって、だれしもみんな平等に起こりうることなんですよね。

 

けれども、「弔い方」は生きることと同じように、ひとそれぞれに選んでいいのだと、ドラマを見て思いました。

印象的だったのは第五話です。白骨化した遺体の息子として登場した岡田義徳演じる男性は、父親の遺骨の受取を拒否し、「綺麗ごとを言わないでください。自分たちのことは何も知らないくせに」と冷たく言い放ち去りました。

彼の態度は責められるべき冷淡さでしょうか。僕はそう感じませんでした。彼ら父子の間のことは、彼ら父子の間にしかないのだから、そういう弔いを選択する人がいてもいいのですよね。

 

時任三郎さん演じる朝顔の父・平、そして柄本明さん演じる朝顔の祖父・浩之の二人。

その二人もまた、それぞれの方法で朝顔の母・里子を弔いました。

平は震災から八年たった後も行方不明の妻を探し続け、一方、浩之はそんな平のことを「当てつけの様に思う地元の人たちもいる」と疎んじながら、娘の死を覚悟して仏壇を用意するなどの弔いを行っていました。

遺体が見つかっていない、そんな状況で八年。

探し続けることと、覚悟して弔うこと。

どちらが正解だなんてことはなく、どちらに愛があるだなんてこともないんですよね。

孫娘がやってきた家族の輪の中に娘の面影をみて、「どうして里子がいないんだ」と号泣する浩之のシーンには、彼は彼だけの弔いを続けていたのだという悲痛さを感じました。

 

第三話では放火殺人事件が扱われ、奇しくも京都アニメーションの事件と重なっていたので、放送が一週延期され、再編集されたものが放送されました。放火殺人の回は、放火の生々しいシーンは削除されているようでしたが、ストーリーは削られることなく放映されました。

僕はここに、ドラマ制作陣の矜持のようなものを感じたような気がしました。

このドラマは、法医学ミステリーでありながらも、全話を通してみると、人が人を弔うということを考えつづけるドラマでした。

 

弔いは誰のものでもなく、弔う本人だけのものなのだーーと。

 

だからこそ、京アニ事件のご遺族の方たちにも背を向けることなく、ストーリーをそのまま続けて放送するという決断ができたのだと思います。

 

 

本当にみてよかったと感じるドラマでした。

来週の特別編の放送も楽しみに見たいと思います。

 

思い起こせば僕も父を失って九年がたちます。

僕は僕なりに弔い、日常を過ごしています。

毎日仕事をして、おいしいご飯を食べ、好きなアイドルの活躍を喜び……そんな日常の中では、父のことを忘れている時もあります。

むしろ、盆や命日のようなときにだけ父を思い起こす……そんな形です。だけど、でも、僕は僕なりの、僕だけの弔い方でいいんですよね。

 

そういえば、森本刑事を演じた慎太郎と、桑原刑事を演じた風間俊介くんもまた、このドラマの期間中にジャニー喜多川氏という大きな師をそれぞれ弔ったのでしたね。

彼らがどのような想いで弔ったのかは推測するべくもありませんが、彼らの弔いもまた、彼らだけの弔いだったのだろうと、そんな風に思いました。