飛び込むBlue

ハロヲタ、30代男性、2019年、SixTONESにハマる

会わなくてよいアイドルの時代へ――SixTONESと、ラフにラブを。

新型コロナウイルスの影響を受けなかったアイドルはたぶんいないでしょう。

SixTONESも同様に大きく影響を受けたアイドルでした。セカンドシングルの発売延期や、コンサートの中止・延期・振替などなど……。

ファンとしての僕が最も憂慮したのは、SixTONESがこれから紡ぐ物語が壊されてしまわないだろうか、という点でした。これは前から機会があれば語りたいなと思っていたことですが、SixTONESには「Travel/Drive」というキーワードが特に印象強く、非常に似合うと感じていました。

SixTONESは、10年近くもの間、ジャニーズJr.として下積みを重ね、長い道のりを6人で旅してきました。アイドルは成長の物語だとよくいうけれど、SixTONESは旅の物語だと僕は思うのです。もちろん色んな意味での個人個人の成長はあるけれど、彼らは自分が変わるよりも、むしろ、周囲の変化を、環境の変化を、力にしていく。新しい場所に進んでいく。そうやって、自分たちは、6人は、良い意味で変わらずにいる。

SixTONESは良い意味でこだわりの少ないグループです。与えられた仕事を素直にこなしていく。目の前の仕事に集中し、次のことは次に考える。あらゆる人の力を素直に借りて、進んでいける。いろんな景色を観ながら、歩んでいく。だから、それは成長の物語ではなく、旅の物語。

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YouTubeチャンネルでもドライブ動画が人気を博しています。それをまっすぐに歌ったのが、今回のセカンドシングルに収録された「光る、兆し」。デビューシングルの「Imitation Rain」や「NEW WORKD」もまた長い道のりを歩いていく「旅の物語」です。マイナな未音源化曲でいうと、実は「Night Train」もその系譜にある。

デビュー前に開設されたYouTubeチャンネルにも、「Travel/Drive」というカテゴリーがあります。英語で表記されているのはそれが世界に向けた「旅/ドライブ」だから。

しかし、県境をまたいだ旅ですら危うくなってしまったアフターコロナ/ウィズコロナの時代において、果たしてSixTONESはその物語をどう語っていくのか。

未曾有のパンデミックを受けて、僕はこれを強く憂慮したわけです。

ビルボード週が終わるまでは絶対に口にしないと決めていたことですが、「NAVIGATOR」という曲も、本来ならばその物語――「世界への旅」の文脈にあったはずのものです。コロナ前に作られた曲ですから。

もちろん、たらればの話をしてもどうにもならないことですが、グローバルに向けた旅路の一歩目としての「NAVIGATOR」には、さらなる戦略が用意されていたと想像せざるを得ないのです。たとえば、海外のアニメフェスやジャパンカルチャーフェスみたいなところにもでかけていって、プロモーションする予定があったのではないか。

それを思うと正直なところ、残念な気持ちはありました。もちろん、マイナスなことばかりではなかった。「ナビゲーターがナガビーター」などは、このコロナ禍だからこそ生まれた楽しみでした。twitterをみても、Team SixTONESの皆は、このコロナ禍だからこそ生まれた様々なプロモーションを、本当に楽しんでいるようでした。けれどそれは、暖冬で酸っぱくなってしまった不作のいちごを、ジャムにして食べれば美味しいよね、と無理して言っているように感じるときもあったのです。

ただどうして今になってその話をしようと思ったのかというと、それは改めてSixTONESの力を強く信じる力が湧いてきたからです。

 

他のアイドルを否定する意図はないけれど、いま僕は改めてアイドルとの距離感について考えています。それはやはり「近すぎてはいけない」ということです。

2010年代は「会いに行けるアイドル」の時代でした。大人数アイドルの時代。しかしこれにはある致命的な欠陥があったと思います。「会える」体験のために、アイドル本人たちを極度に酷使し、疲弊させていた。それは、夢や輝きのための犠牲が大きすぎるシステムだった。これは精神的・体力的なものだけではなく、経済的な部分でもそうですし、安全面においてもそう。もう具体的なグループ名に言及してしまいますが、48グループおよび坂道シリーズの人数は現在827人いるそうで、冷静に考えて適切なマネジメントや身辺警護、十分な給与分配ができているはずはない。このシステムの中では、アイドルだけでなく、ファンですら疲弊するのが当たり前。事件が起こるのも当然です。

でも実は、僕たちはもうそういう状況にとっくに気づいている。何を当たり前のことを、というかもしれないけれど、潮目はもう変わっています。

2010年代、僕たちはSNSを通じて、そして様々な痛ましい事件を通じて、アイドルや芸能人が「人間である」ということをもう学んだはずだ。少なくとも、学びつつある、と言えると思います。アイドルは、芸能人は、偶像でも、キャラクターでもない。傷つけてはならない、ひとりの尊重するべき人格であり、一人の人間として「幸せ」になってほしいという、ファンのとしてごくごく当然の願いと想像力が、アイドルヲタクたちの間にも育まれている。そんなことはない、まだまだ愚かなやつらばっかりだ、という人もいるとは思うが、僕は少なくともそう信じたいと思っています。

だから、多分これからは「少人数アイドル」の時代になる。

過激なフェイクショーや(エセ)リアリティーショーはもう終わりだ。

「運営が、番組が、レコード会社がアイドルを大事にしない」――そういうたぐいのショーは、誰ももう幸せにしないと少しずつみんな学んでいる。

2020年代は、そういう「少人数アイドル」の時代になるだろうと僕は思っている。会えないのが当たり前。そしてたぶん、コロナウイルスはそれを加速させる。

「会える」どころか、「無観客」という新たな概念が、今後はたぶんエンターテイメントを変えていく。

「無観客」というのは、もちろん最初はステージに立つ本人たちをも、戸惑わせるかもしれません。けれど、ファンサービスの必要のないステージングは、美しい歌声や切れのあるダンス、そうしたエンターテイメントの本来的な喜びに回帰させてくれるチャンスにもなっていく。

そもそも、「会いに行けるアイドル」は、昔からいた。2010年代の新たな発明であったかのように言われていたけれど、むしろ映像メディアのない時代の古い仕組みを引っ張り出してきただけにすぎない。明治時代の演芸ヲタクたちは、認知をもらうために劇場に通っていた。実はめちゃくちゃに「古い仕組み」でしかなかった。

テクノロジーの進化を考えれば、5GやVRといった技術をふんだんに使って、さらにはネットもテレビも雑誌もラジオもあらゆる媒体を使って、無観客のままですら――「会わなくてもエキサイトさせてくれる」アイドルが正当な進化系に位置するはずなんです。

2020年代、アフターコロナ/ウィズコロナの時代は、そういうアイドルの時代になる。

図らずも、このタイミングで企画されていたスノストのハイタッチ会が中止となった流れは、僕は良かったと思っています。ある意味、運が強かった。きっと楽しみにしていたファンもいたと思う。それを否定するつもりはありません。

けれど、でも――ああ、これはかえって「中止で」良かったのだと。

今はやっぱりそう思うのです。

 

ようやく本題に戻ります。

今後、SixTONESは「Travel/Drive」をきっとまた新しい概念に塗り替えていく――僕はそう予感しています。

それがどういうものになるかはまだ僕もわかりません。大きく違うものになるのかもしれないし、基本のコンセプトはそのままに、時代にあわせて形に変わっていくのかもしれません。

僕がいま信じているのは、彼らの本質的な部分です。

それは、適応力の高さ。

「新しい世界」にたどり着いても、彼らは無理せず、愛を届ける方法を知っている。

ラフに、ラブを。

最近特に強く「ラフに、ラブを」感じられたのは、「優吾のあしあと」だったのですが、せっかくなので、それはまた独立したブログ記事で書きたいところです。